巻頭の
新潮新人賞受賞第一作は、2014年4月7日付のメールから始まる。
精神科医であり、自称「最終」結論である内上用蔵から、
「最強」人間であるところのF.カーソンに宛てた幾多のメールが
この小説を構成している。しかも、カーソンは読んでいない。
俗物カーソンが最強でいられるのは、5年より前の記憶を
屋台骨を残して全て消去したからだ。
そして、経典を改訂し続ける者、A.アルカン。
彼らは、アメリカIT企業のあの他界したカリスマ経営者がモデルの、
S.ワーカーが発明した「最高」製品を巡って邂逅する。
最高製品、それは、スマートフォンやフェイスブックの先にあるもの。
ホメオスタシスの元に人々を接続することで、
もはや個も、場所も、時間さえもなくなるもの。
何億の人々の各要素を分析し、重なりのない個として整理するもの。
ワーカーは、カーソンによって自殺に追いやられ製品を横取りされる前に、
その行く末を夢想し、ためらっていた。
この最高製品が普及したら新世界が始まる。
個の数量はスタート地点では一旦劇的に減るだろう。
しかし、その後、先鋭化された個と個が互いに影響し合い、
または掛け合わさることで、
飽和して縮小に向かうしかなかった旧世界の突破口が開けるはずだ。
だが、それは進化の先端に立つということであり、
どんな結末が待っているか解らない、
人間が恐れるべき事態ではないか?
西欧の象徴である友人カーソンはしかし、
その実現を「よきこと」として疑わなかった。
カーソンはワーカーに、甘くささやき、思考停止させ、追いつめる。
一方、アラブ世界の象徴であるアルカンは、
ワーカーの死後のカーソンを「悪魔」と見なして暗殺の機会をうかがう。
用蔵は、当時の彼女に、あなたは惑星
ソラリスみたいだ、
と言われたことを回想する。
「ルール設定が違うのよ、あなただけ。」と、彼女は言っていた。
当然だ、と用蔵は思う。私は最終結論なのだから。
未来に何が、どういう順序で起こるのか、
自分の恋人や患者が何を考えているのかが解ってしまう。
最強人間と最終結論との間で交わされる
「最後」の会話に向かって、世界は進んでいるのだ。
しかし、アルカンをも殺したカーソンは、用蔵に言うのだ。
君は、肉の海が見る夢の代表人格に過ぎないと。
そう、最高製品は、接続した人類の意識や肉体を
ソラリスの海のように溶け合わせてしまった。
最後に残ったのがカーソンと用蔵だが、
その用蔵は
ソラリスが夢見、現実化した存在に過ぎないのだと。
今号の表紙に掲げられた「惑星」という
タイトルの大きさから、
この作品に
新潮がいかに期待しているかが分かる。
惑星は、惑星という見慣れた名詞でありながら、
よく見ると、惑う・惑わせる星という意味をはらむ。
かつて天空を観測する人々は、
この見かけ上、惑うような軌道を描く星に、
何か理由を超える神秘を見た。
なんという美しい表紙、そして
タイトルだろう。
本文は、2020年7月25日付の最後のメールで終わる。
現在を追い抜いて東京オリンピックの開催年までを描き、
そして、この惑星の文明の進歩を総括し、接続する、
非常に射程の広い小説。その斬新さに星5つ。
トラック2 家見舞の後半から、よく聴くとジーという雑音が入っています。また今回のシリーズ中3作で家見舞がかぶっているのもどうかと思います。トラック3はおそらく正月初席のときのもので、5分くらいの短い漫談です。これをCDに入れたのもやや疑問です。
喬太郎師匠のCDで、古典と新作が両方収録されているのはこれが初めてだと思います。喬太郎師匠を聞いてみようか、という方には良いと思います。
ただ、内容的には、既に発売されているCDと被っている作品(寿司屋
水滸伝、子ほめ)、やっつけで作ったのではないかと思わせる作品(喜劇駅前結社)が含まれるため、喬太郎マニアがそそられる内容ではないですね。録音もかなり古いですし。