12年振りという
十二国記シリーズ最新作であるこの短編集は、読む時期を選ぶ短編集だと思います。 最近
十二国記を読み始めた方は、既刊をすべて読み終わってから手にとることをお勧めします。 12年振りに
十二国記に再会するという方は、とりあえず既刊をひと通り目を通してからページを開きましょう。取り急ぎ「風の万里」だけでも読み直しておくといいかもしれません。 でも、気分が滅入っている時は避けたほうがいいと思います。時間に余裕がある日に、静かな空間で、じっと文章を追う。時々、心を休めつつ、各物語の主人公たちの思考に寄り添いましょう。 正直、王の権限の巨大さと重さを噛みしめる短編集です。何気ない王の言葉が、発令となり、それが巷に広がる時、民の身に何が起こるのか、王にこそ手にとってもらいたい短編集だと気付くはずです。
最新作(雑誌掲載ですが)「落照の獄」の重苦しさを読んでから、
十二国記本編にたちかえってみると、シリーズ後半がいかに重く、国政とは何か、政治とは何かを扱っていることに、驚きます。
「落照の獄」は連続殺人犯の男を死刑にするかどうかで悩む官吏の話ですが、そこには改悛の情も見えない男とはいえ、異分子を排除してシステムを整えることへの苦渋が漂っています。そして人間のさがへの疑問も・・・
既存のシリーズ最終作であるこの『黄昏の岸 暁の天』では、王が暴虐でもなく失道しているわけでもないのに、国が病んでしまう状態を扱っています。驍宗は乱を鎮めにゆき、行方不明になり、もと同僚でおそらく彼を妬んだ阿選は王を死んだとし、王位につこうとする。そして怯えた麒麟は蓬莱に飛ばされ、それを追った使令たちの暴走により、『魔性の子』に展開されるホラー事件が起き、陽子が音頭をとった各国の王や麒麟たちの連携が実って、ようやく泰麒をこちらに連れ帰ります(このストーリーは『魔性の子』ですでに明かされているので書いてしまいました)が、角を失った麒麟には何の力もなく・・・・
麒麟により天が定めた王なのに、どうしてこのような事態になり、民が苦しむのか。李斎は「天帝はいないのか。なぜこんな事態を放置するのか」と嘆きます。
ここで作者は、『
十二国記』の設定の二層性、つまり「神話的に完全であるはずの、天佑神助の王の即位と国の繁栄・不老不死」と、その下部構造である「一般の民のまったく人間的でリアルな生活、妬みや恨み、名誉欲、権勢欲」を、どうかみ合わせるかで悩んで筆をおいてしまったのではないかと思います。
王も麒麟もすでに本作ではスーパーパワーを持っていない。ふたりがいても、国は権力争いの場と化していますし、そもそも天に選ばれた王が暴虐をはじめたりする、という初期設定も矛盾といえば矛盾です。
実は、前の作品である『東の海神 西の滄海』でも延王の政治に不満の声があがり、雁の国のある州で反乱が起きました。首謀者の斡由は能吏であって、治水権を王が認めないことに怒って、あたかも正義のごとくに兵をあげます(とちゅうまでは完全に彼に理があるように読めます)が、実は人間的に問題があり、権勢欲から事を起こしていた、という個人の事情に帰せられて、反乱は制圧され、延王(と彼を選んだ麒麟つまり天帝)の正しさが証明され、十二国の秩序は崩れませんでした。
このときは、個人の問題としておさめられた反乱でしたが、今回の戴の乱はそうではなく、歴史上、現実世界に繰り返されてきた乱と同じく、人間の本質に結びついたものであり、また絶対的王政に対する官吏の不満のあらわれでもありました。いわば「天上の理」と、それからはじきだされている「一般庶民の生老病死」の落差でもあり・・・
しかし本作で光が見えたのは、最後に、李斎と泰麒がもう無力なのに、国へ戻ろうとする意味でした。そして力がなくとも麒麟は人々にとっての「希望」なのだ、という思いにすがるところでした。神話設定のおちつきどころを、作者はこのあたりに求めてゆくのかと思いました。
物語自体もよりよい現実的な国際政治を模索するかのように、陽子が大使館の必要性や互助を説いたり、と、天に頼らぬ人間の知恵のほうに重心がかかってゆきます。
『魔性の子』の裏物語としての面白さはもちろんのことですが、今作では、『
十二国記』そのものの設定を作者が問い直そうとしている、その重さがのっぴきならぬものとして心に響きました。
続編が書かれるとしたら、それはおそらく国王とは何かを、神話の王から現実の為政者への架橋を通じて描いてゆくものであり、麒麟も超越的存在であるのみならず、民とともに生きるものとしての存在感を持たせられることになるでしょう。
前にシリーズを読んだときには感じなかった、重厚な問いかけを「落照の獄」を読むことによってひろいあげることができました。
新潮社からの新版を楽しみに待っています。
「
十二国記」→「屍鬼」→「東京異聞」から入った私は、同作家を「頭の切れるクールで少し性格の悪い人(たぶん無口)」をイメージしていたのですが、少なくともクールなイメージはブチ壊れてしまいました。キリリとした、それでいて流麗な小説中の文章は、このエッセイでは面影もありません。まあいいんですけど。
小野不由美さんって、顔写真も載せないし、ほとんどの小説のあとがきも何だか苦しそうに書いていて、いまいち作者の人柄が分からず物足りなかったんです。だからこのエッセイは、ゲームのことはまったく分からない私でも興味深く読めました。同作家を崇拝しまくっている人は読まないほうがいいかも。ショック受けるかもしれませんよ~。