阪急に長年勤められた橋本雅夫氏の書かれた本である。阪急の箕面有馬電鉄から阪神急行への歴史が非常にわかりやすく面白い。阪急と阪神の競争や、小林一三翁の数々のエピソード、
神戸線
開業の際、並行路線の多い
神戸線は乗る人が少なかったが独占路線の
宝塚線は超満員でいい車両を
神戸線に回し、
宝塚線には古い車両を回したなど意外な苦労話も興味深かった。また数多くの古い車両の写真にはカルチャーショックを覚えた。現在家の建て込んでいる場所が一面の野原で家がポツポツとあるだけなのだから。さて、この本のP97には昭和9年の阪急梅田高架駅が一日にして下におり、省線が高架に上がるという阪急の歴史に残る大工事が書かれているが、これは「阪急クロス問題」を主張されている「民都
大阪対帝都東京」の原武史氏の主張とは相当異なっている。
橋本氏のお書きになっている事:
大阪駅の高架化は昭和6年に省線側から通告を受けていた。阪急にとって鉄道省は監督官庁だったから、費用の面でも阪急の思い通りにはならなかった。だが阪急はこれを機に地上に立派な梅田駅を作る事に決めた。小林一三社長はこの切り替えの陣頭指揮をとり、一番電車に颯爽と乗り込む小林一三氏の得意満面な写真も残っている。これは通説とされている。
原武史氏の主張:
大阪駅の高架化は阪急側にはまったく知らされていなかった。小林一三は阪急高架線の梅田駅を地上駅にする事と、省線
大阪駅を高架にする事には反対だったが最後には鉄道省に押し切られ、不本意に地上駅にした。この時の小林一三の心中はいかばかりのものであろうか。(阪急クロス問題または省線クロス問題と言うらしいが、他の文献には書かれていない。)と相当、通説とは異なっている。
さて、阪急に長年お勤めになられた橋本氏と象牙の塔で世間とかけ離れた思索や思想に耽っている原武史氏のどちらを信ずればよろしいのだろうか。それは読者にお任せしたい。
阪急電車の写真集です。阪急の車両の解説や、路線・沿線の解説が詳しいです。カラー写真や白黒写真がたくさん掲載された本です。また、阪神淡路大震災の影響とその後の復旧状況・計画などの項も設けられ、書かれています。阪急電鉄について知るのに良い本と思います。