![]() バッハ:マタイ受難曲 |
説明する必要の無い程有名な1958年の『マタイ』である。 リヒターには、1969年の日本ライブ、1970年代の映像盤、1979年頃の晩年の録音もあるが、リヒターの『マタイ』だけでなく、総ての『マタイ』から一つを選べと言うなら、間違いなく1958年のこの盤を選ぶだろう。 まず、これ程、『感情豊か』なマタイは無い。 『感情豊か』と言えばイエスの受難に立ち会った様々な人達〔弟子達や祭司長たちや十字架につけられたイエスを見る群集など〕の感情をいやがにも表したメンゲルベルクの演奏もあるが、メンゲルベルクと違うのは、リヒターはテンポ・ルバートではなくイン・テンポであるということ。 テンポを自由自在に操り、人々の感情を表したメンゲルベルクとは違い、テンポを変えずに、人々の感情をこんなにも出すのだから、僕はやはりリヒターを凄いと思い、メンゲルベルクの『マタイ』をどこか認めたくないのである(メンゲルベルクが嫌いというわけでは無い)。 また、リヒターの『マタイ』の中では、ソプラノ・リピエーノが一番飛び抜けて、よく聴こえる。少々音程が悪く、1979年の時のレーゲンスブルク大聖堂合唱団のように、あそこまで、綺麗ではないが、音程を犠牲にして、感傷的なコラールを歌っているので、音程の悪さがさほど気にならない。逆にそれが感傷的にさせているのではないかとも思う。 また、通奏低音のオルガンもストップを変え音色を変えて、様々な雰囲気を出しているのも良い(他のリヒター盤はレチタティーヴォの所はチェンバロで弾いているので、雰囲気がこの録音と比べるとあまり変わらないのである)。 また、キャストも素晴らしい。エンゲンのイエスは、『ヨハネ』でも歌ってほしかった。それ程素晴らしいのである。(『ヨハネ』はイエスのヘルマン・プライがミスキャストだ。声が明る過ぎるのである。) もっと書きたいが、空きが無くなった。絶対聞くべし。 |
![]() ヘンデル:オラトリオ「メサイア」(英語版) |
オラトリオ「メサイア」はヘンデル晩年の傑作で、バッハの偉大な二つの受難曲と共にバロック時代の宗教曲において遥かなる高みに立つキリスト教精神の表現である。伝えられるところによれば、ヘンデルはこの曲を作曲するに際し、飲まず食わずで没頭し、涙を流しながら作曲し、一月も掛からずに完成させた。そして、初演後はたちまち人気を博し、作曲者が他界する一週間前のロンドンで指揮した頃にはすでにこの曲は常演曲目として定評を得ていたそうである。作曲後百年以上も見過ごされていたバッハの受難曲とは正反対である。また、正反対なのは曲の運命だけではない。その内容も全くといってよいほど正反対である。
まず、ヘンデルの「メサイア」はバッハの受難曲の福音書記者がない。コラール(コーラス)、アリア、レチタティーボ(伴奏付きレチタティーフ)は存在するが、どれもバッハとは異なり、その歌詞が聖書の聖句に基づいている。また、聖句もバッハの受難曲ではマタイ、ヨハネ共にある一部分(イエスの受難)のみを扱っているが、「メサイア」ではヘブライ語、アラム語聖書(旧約聖書)、ギリシャ語聖書(新約聖書)のそれぞれキリスト(メシア)に関する聖句を歌詞として扱っている。それによってバッハの受難曲のようにキリストの受難を劇的な内的ドラマとして表現し、聖書の音楽的解釈である作品ではなく、キリストの預言、降誕から、キリストによって成就される「神の王国」実現を客観的な視点で描いた作品であるといえる。それはバッハの受難曲が全体を覆う人間の罪とそのためのキリストの受難に対する深い悲痛の念と省察を秘めているのに対し、「メサイア」は全体に輝かしく、喜ばしい感情が漲っていることからも理解できるだろう。半分以上は長調の曲であることがその希望に満ちた想いを物語っているであろう。けれども、決してただキリストの預言から再臨までを叙述したのではなく、信者という視点からその喜ばしい福音の知らせに歓喜する心を見事な筆致でもって、輝かしく描いたと考えるべきではないだろうか。全曲の頂点である有名な「ハレルヤ」はまさに信者の神を讃える賛美に他ならない。 バッハが全人類的な罪による受難を描いた同時代にヘンデルが来るべき神の王国に対する希望と喜びをかくも対照的に描いたというのは決して偶然ではないと思う。ルター派プロテスタントであるバッハと啓蒙的なヘンデルとの違いがこのようにはっきりとした差異で現れたのだろうが、それよりもこの後に来るべき啓蒙主義の時代の萌芽がここに現れていると解釈してもよいのではないだろうか。この後、登場する音楽の巨人ベートーヴェンはヘンデルを非常に高く評価し、「ヘンデルは最も偉大な作曲家である」と言ったと伝えられている。バッハはこの当時はまだしかるべき評価はされていなかったため、ベートーヴェンが彼の曲を聴いたらまた評価は異なっていただろうが、それでもヘンデルの偉大さを率直に述べているこの言辞は決して変わるものではない。ベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」はバッハの受難曲よりもヘンデルの「メサイア」に遥かに親近性がある。この曲を作曲する際に「メサイア」を研究した事は明らかだろう。時代を経て、ヘンデルの精神はベートーヴェンに受け継がれたのである。 この「メサイア」の演奏に関して、歴史上忘れてはならないのはこのリヒター指揮、ロンドンフィルハーモニーのものだろう。バッハの宗教曲における厳格で魂をえぐるような内的ドラマを展開するリヒターとは異なり、厳しくも輝かしい表現を実現する彼の姿がここには存在する。ロンドンフィルハーモニーの伝統と格式に満ちた管弦楽もリヒター統率の下で神々しい趣を備えている。弦楽合奏などはあまりにも崇高な響きで、襟を正して聴かねばならないであろう。また、四人の独唱者も大変素晴らしい。英語の発音もしっかりしているし、何よりも力強く、高らかな歌唱はこの曲に合っている。そして、ジョン・オールディス合唱団も巧い。この曲を演奏するにおいてこれほどすべてが見事に揃って録音された事は大変幸運な事であった。この完成度の高さに比肩するものは今後、現れるであろうか。 |
旧古河邸~Harpsichord concerto D major BWV1054
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