僭越ながら、『想い出づくり』(1981)は『ふぞろいの林檎たち』(83)の前哨戦のような作品ではないかと思う。3人の女性を主人公にした恋愛模様が中心のドラマだが、ふぞろいになると男も女ももっと出てきて、恋愛、仕事、キャリア、家族なんかについてもがき、学び、断念し、折り合いをつけ、ともう少し複雑だったり突っ込んだ展開だったりする。しかし本書を読んでみて(残念ながらドラマは未見)、想い出〜がなければ、ふぞろいはなかっただろうと強く感じた。
女性たちを描いている、ということもあってか、どこか作者の眼差しはシビアだが優しい。書き手の彼女たちへの慈しみの思いが、回を重ねるごとに強くなっているようだ。というようなことは、ドラマで見るよりシナリオを読むほうがより伝わってくるのではないか。最後に起こる“事件”も、ハラハラさせられるけれど「きっと大丈夫」と思えてしまうのは、作者の眼差しを読み手が読み取ってしまうからだ(僕はそうでした)。
主人公たちの家族も、それぞれに魅力がある。児玉清が演じた父親像、いいなあと思う。それとは対照的な父親像を演じた佐藤慶も、きっと素晴らしかったろう。母親では佐々木すみ江の演じた人物がいい。佐々木すみ江自身の存在感もあるのだろうが、このキャラクターはふぞろいの
中井貴一の母親像としてさらに膨らんでいく。ドラマを見ていないのに、こんなふうに「役者の芝居も良かったに違いない」と思わせるのは、シナリオの段階で台詞に血が通っているからだ。
僭越ながら、『想い出づくり』(1981)は『ふぞろいの林檎たち』(83)の前哨戦のような作品ではないかと思う。3人の女性を主人公にした恋愛模様が中心のドラマだが、ふぞろいになると男も女ももっと出てきて、恋愛、仕事、キャリア、家族なんかについてもがき、学び、断念し、折り合いをつけ、ともう少し複雑だったり突っ込んだ展開だったりする。しかし本書を読んでみて(残念ながらドラマは未見)、想い出〜がなければ、ふぞろいはなかっただろうと強く感じた。
女性たちを描いている、ということもあってか、どこか作者の眼差しはシビアだが優しい。書き手の彼女たちへの慈しみの思いが、回を重ねるごとに強くなっているようだ。というようなことは、ドラマで見るよりシナリオを読むほうがより伝わってくるのではないか。最後に起こる“事件”も、ハラハラさせられるけれど「きっと大丈夫」と思えてしまうのは、作者の眼差しを読み手が読み取ってしまうからだ(僕はそうでした)。
主人公たちの家族も、それぞれに魅力がある。児玉清が演じた父親像、いいなあと思う。それとは対照的な父親像を演じた佐藤慶も、きっと素晴らしかったろう。母親では佐々木すみ江の演じた人物がいい。佐々木すみ江自身の存在感もあるのだろうが、このキャラクターはふぞろいの
中井貴一の母親像としてさらに膨らんでいく。ドラマを見ていないのに、こんなふうに「役者の芝居も良かったに違いない」と思わせるのは、シナリオの段階で台詞に血が通っているからだ。