己のうちに鬼を秘める剣の天才 瀬能宗一郎と、その瀬能に唯一匹敵しうるとされる
野獣のごとき剣客 木久地真之介。最終巻となるこの8巻では、瀬能がそれまで
遠ざけていた愛刀に木久地を討つべく研ぎを入れ始めれば、木久地の方も瀬能を
超えようと食を断って闘志を練り上げていき、ぎりぎりと絞られるように
高まっていく緊張が極限に達したとき、ついに決戦の火蓋が切って落とされます。
スポ根の大傑作『ピンポン』で、天才や戦いを定めづけられた者たちの孤独、そして
彼らが生きる世界を描き表して読み手の度肝を抜いた松本大洋が、今回も
やってくれました。時間と空間とを自在に切り取って演出された紙面からは、
凡人や死にもの狂いになった経験のない者には本来絶対に見えず、わからない
はずの、「行くところまで行ってしまった人たち」の世界が鮮烈に伝わって
きます。そういうものが描けるのは、松本大洋が漫画家として引き出しが
多いからというよりも、そもそも何かを表現するときに作り手が無意識のうちに
設けていがちな前提から彼が自由だからであり、松本大洋自身もやはり天才
だからなのでしょう。
物語の軸となっているキャラクターだけでなくその周りでお話に彩りを添える
人々にだって最後までしっかりスポットをあてる、作り手としての一種の律義さも
松本大洋の魅力でしたが、今作でもそれは健在。瀬能を慕う人々やあの仲睦まじい
猫の夫婦のその後もしっかり描かれています。剣に憑かれた者同士の決着と、彼らを
包む一つの世界の完結を描いた最終巻、最後までしっかり楽しませてもらいました。
第1巻からこの作品のレビューを書いているのだが、第2巻のレビューの
タイトルは「静かに、本当に静かに盛り上がりを見せ始めた第二巻」だった。この第3巻も静かだ。静謐といってもいい。瀬能と木久地が対峙する場面もそうだ。狂気は感じさせるが動ではなく静だ。
松本大洋の描く絵には「静かな間」がある。「動」の絵が描かれているコマであってもストップモーションであるかのように感じさせる独特の行間(絵間?コマ間?)がある。だが何故か不思議と動きが感じられる。それが多くのフォロワーが真似できない松本大洋の個性であり魅力だ。
次巻では瀬能の生い立ちが明かされるようだ。今からとても楽しみだ。