この本の特徴としては、天皇の性格の変遷を東アジアの歴史と結びつけて、その関連の中で描こうとしている点で、それはかなり成功している。そして、著者が専門としている古代史の部分はやはり光っている。
戦乱の中から新興宗教が生まれる例は多いが、卑弥呼の鬼道もそうしたものであった可能性は高く、アルタイ系遊牧民文化の天崇拝につながる「祭天」の記事が魏志倭人伝の中には書かれていないので、倭の文化は中国南部、朝鮮半島南部と類似していたらしい(p.21)。また、トヨミケカシキヤヒメ(持統)と厩戸皇子(聖徳太子)の関係は卑弥呼と男兄弟と同じような複式王権の特徴を示している(p.44)。
天皇という称号を使い始めたのは天智からだが、それ以前の大王は兄弟やイトコを殺して即位することが多かったため、兄弟やイトコの支援が期待できなかったことから、大臣や大連の支持が重要になる(p.36)。倭の王権は中国王朝からの自立とともに、国内では豪族層からの自立を目指す。そのために選んだのが近親婚。異母姉妹との結婚としては敏達と推古、用命と穴穂部間人皇女。オジとメイの結婚としては舒明と皇極、天武と太田皇女・持統がある。内婚化は複式王権の伝統とも関わっていたが、これによって大王一族は豪族層の介入をしりぞけていく。そして、内婚が盛んに行われた結果、女帝が多く出ることになるが、これは男の大王を立てるのが難しい状況になったため(pp.45-)。なぜか同時期の東アジアでも新羅で三人の王女が即位し、唐でも
則天武后があらわれる、なんていうあたりはなるほどな、と。