矢作俊彦の新作は懐かしの二村永爾が主人公のハードボイルドである。
タイトルからして凄い。
レイモンド・チャンドラーの「THE LONG GOODBYE」の向こうをはって「THE WRONG GOODBYE」なのだから。
ストーリーの展開も似ている。明らかなオマージュなのだが、
刑事である二村が意気投合する飲み友達ビリー・ルウはテリー・レノックスを思わせるし、
二人が飲むカクテルもギムレットならぬパパ・ドーブレ。
おっと、パパとはヘミングウェイのことで彼の好きだったダイキリをダブルで、って頼み方なんですけどね。
細部の会話にも小技がビシバシ決まりまくりで、痛快です。
「リンゴォ・キッドの休日」、「真夜中へもう一歩」を読みなおし、
ついでに「長いお別れ」まで再読したくなる、そんな大傑作です。
昔、資生堂の男性用化粧品のCFに小さな
ランチ(ってもう言いませんか、モーターボートですね)に乗って三船史郎が港に戻ってくるのがあって、
そのコピーが「帰ってまいりました」というだけで異常にカッコ良かったのを思い出してしまいました。
著者は50年生まれで、広義には団塊世代。最終学歴は、すでに進学実績で有名だった教育大付属駒場高(2年留年した)。本作の主人公とほぼ同世代で、主人公が学生運動に関わって中国に渡ったのに対し、著者は超のつく受験校からスピンアウトしてサブカル的世界に身を投じている。幸か不幸か、「『いちご白書』をもう一度」的な転向からは距離を置き得た点で、同類。
しかしこの主人公により近いのは、もちろん、70年3月(たぶん著者の高校卒業直後)によど号ハイジャック事件を起こし、北朝鮮に渡った赤軍派の人々だろう。本作の発表までに、その何人かが日本で逮捕されている(作中にも、重信房子の姿が垣間見られる)。
もうひとつ、これも誰でも気づくように、庄司薫の薫クン4部作の主人公が著者とほぼ同年齢(あちらは日比谷)。本作にも『赤頭巾ちゃん』を思わせる少女が登場する。
渋谷で出会う少女。30年前の主人公の妹。礼子にも少女性を感じる。
ただし庄司薫の少女と違い、妹は現在マスコミで論客として活躍しているし、礼子も「あのころの娘たちのはつらつとした匂い」(p308)を漂わせている。ただの聖少女ではなく、自分の言葉で逆襲してくる。
渋谷の少女に至っては、最後に小説を書くと言い出す。赤頭巾が小説を書くのだ。著者自身、10歳以上も年長の庄司薫の作り上げた薫クン的世界に閉じ込められることを、拒んでいる。
主人公の最後の選択は、そうあらねばならなかったものだ。しかしそれは団塊世代の正しい選択であり、著者よりさらに下の世代には、また別の課題もある。