小川国夫の処女短編集(と言って良いと思う)。明らかに聖書から題材をとった一群の小説と、自らの体験に根ざした私小説群とから成り立っている。小川国夫の私小説は、著者自身が自分の周囲に固執して書いており、それがかえって世界の普遍を書く描くことになっている。小川国夫の小説は難解と言われているが、この短編集におさめられている小説は、難解ではない。
小川国夫という不思議な作家がどのように文学に取り組み、特異な小説群を生んできたきたのかは、彼自身の著作でかなり明らかにされています。しかし、この小川の同伴者、妻による小川国夫へのレクイエムは、その文学的な営為がどのような苦悩のうえになされたのかを、違った角度から照らし出しています。やや硬質な文章が、小川国夫とこの著者との関係を表しているように思えます。しかし、私にとって衝撃的であったのは、小川とその母との間柄、それにまた妻として著者がどのように関わってきたかの生々しい描写です。小川国夫の原点のひとつをかいまみる思いがしました。小川と著者との他のものを許さない密な結びつきと外面的な距離(坂ですれ違う国夫が著者を無視する!)との先鋭な対立も記憶に深く残ります。80歳になんなんとする著者の何とみずみずしい文章でしょうか。3.11後に小川国夫はまた新しい側面を見せてくれる予感がします。
私自身は、キリスト教徒ではないし、イエス・キリストの生涯について書かれた本をそれほど読んでいるわけではない(30年ぐらい前に、遠藤周作氏のものを読んだぐらいである)。だから、宗教的に正確なことは分からないし、他の書物と比較して本書について、あれこれ書くことはできない。 ただ、そういった中で、確実なことは、本書が分かりやすいということである。その理由として考えられるのが、「商品の説明」欄に書かれた連載のベースになったものが、いわゆるカルチャースクールでの講演であることだろう。また、「解説」によると1995年にNHK教育で放映された人間大学のテキストがベースとなった『イエス・キリストの生涯を読む』に比較すると、400字詰原稿用紙で80枚分ほど多いことも、その一因かもしれない。そして、最新の神学研究などからの引用ではなく、著者自身が徹底して読みこんだ聖書の内容に即し、生涯が描かれていることが最大の要因ではないだろうか。 さらに、聖書からの引用についても「ぼくの訳」と書くように、自らの言葉に置き換えている。「解説」では、敬語表現を避けたことも著者の訳の特徴として挙げている。 もう一つ、印象的なことは「奇蹟」について、あれこれ解釈をして辻褄合わせをせずに、聖書の記述に基づき、それをそのまま伝えようとしていることである。
文字が大きく、行間もゆったりと組んであるため、逆に速く読みとばすことが難しい。だからこそ、著者の描くイエス・キリスト像をより良く理解できるような気がしてならない。
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