台所で使うペラペラしたナイフではなく、
厚みもあり、シッカリしています。
グネグネ曲がる事はほとんど無いので丈夫です。
グリップは硬質ゴムのような感じ。
例えるなら、車の
タイヤくらいの固さ。
刃は、他の方はダメとレビューしていますが、
砥がなくても、そのままで普通によく切れます。
アウトド
アナイフ系なので、カミソリの様な刃ではないので、
刃の部分に角度が付いています。
刃にカーブが付いているので、非常に砥ぎづらいです。
ケースは、ベルトに引っ掛けるタイプです。
そのうち落としてしまうかもしれません。
完全に袋状ではなく、横や先に穴が開いています。
総評価は、
キャンプや簡単なアウトドアではかなり使えそうです。
・握りやすさ
・切れ味
・
コンパクトベルトに付けて持ち歩くのは、きっと落とすでしょう。
本作は元々複数のプロットがからみあい、複雑なのであるが、第三部になるとさらに複雑化し、混乱した社会を映し出している。
しかしその中に於いても、第三部から登場するマカールが、清らかな空気を送り込んでいる。彼は主人公の戸籍上の父親で、救いのために長年巡礼生活を続けている。彼の言葉は、ドストエフスキーの理想である「民衆の正教」を表しており、そして彼が話したという或るエピソードは、深い印象を残し、当時の
ロシア社会を想像しやすくしてくれる。
また、リーザも相変わらず美しく描かれているのだが、彼女はとても可哀想なことになってしまう。
「しかし悲しい、ほんとうの悲しい言葉は、わたしは特に妹のリーザについて言わなければならない。これこそ――ほんとうの不幸というもので、リーザの悲痛な運命にくらべたら、わたしの数々の失敗などなんであろう!」
と主人公も書いている。どんな不幸に遭ったかは、ここでは書かないのでぜひ本書を読んでほしい。
そして、なぜこの世界はこれほど悲痛と苦悩にあふれているのか?――この問いが、次の『カラマーゾフの兄弟』に引き継がれる。そして、あのような名作が生まれるのだ。