母の日のプレゼントに購入。 妻が気に入ってくれたので、良かったです。
もうちょい安ければいいなぁ。でもおいしい。次セブいったら、他の種類も食べてみよう。
荒唐無稽でバカみたいな映画ではありますが、こういうのを見ると、つくづくアメリカという国は健全だと思います。決して、血の気の多いマッチョファイターと金の亡者のパワーエリートと集団ヒステリー気味の一神教妄信者だけの国ではないことがわかります。自分たちが作り出して使用した核の恐ろしさを、自分でしっかりと理解して、怯えている。こんなB級娯楽映画においてすらも、核は恐怖の対象として描かれています。 翻って日本ではどうでしょう? たしかに新藤さんや今井正さんの映画はありますけど、あれらはインテリ向きの社会派ドラマですし、初期の「ゴジラ」と「ガメラ」ぐらいでしょう、微かに核の恐怖を遠回しに描いた娯楽映画は。 日本の娯楽映画が、直截に「核の人体への影響」を扱えなかったのは、一つには、そんなものを作っても日本の観客は嫌がって見に来ない、と映画会社が判断したからだと思います。そもそも「唯一の被爆国」という書き方自体、何だか変です。「被爆」であって、「被曝」ではない。そんなことも相まって、「核の軍事利用(核兵器)=被爆体験=危険」、「核の平和利用(原発)=安全」というおかしな概念が、いつの間にやら定着してしまいました。もちろん、国策推進のために「安全神話」を振りまいたのはナントカ村の方々ですが、我々国民自身も、「核兵器による「被曝」」という過去を乗り越えるために、安全神話を求めていたのではないでしょうか。二つには、原爆被災者への配慮もあったであろうと推理します。差別の助長を警戒することもあって、被曝による人体への影響を描くことが、ためらわれたものと思われます。もちろん配慮は必要ですが、差別という心理を科学的視点から克服するのではなく、差別されそうな事実そのものを糊塗してしまう。これも安全神話を信じたがる心理と共通する情緒です。
よくウインドブレイカーのポケットから物を落としていたのが 簡単に拾えるようになりました! 落とした事に気づかないで困った事もあったのが皆無に! お勧めです
子供も気に入ったようです。内部にもう少しポケットが欲しかったですね。
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