バッハの後期の傑作である『ゴールドベルク変奏曲(
アリアと種々の変奏)』を、その発生の経緯から、子守唄的な見地で定義づけるのは少し無理があるように思う
不眠とは、ある種マイナスの感情が原因となる、焦燥感で眠られなくなるものであり、赤子の子守唄的な発想で解決を図れるものではないからだ
カイザーリンク伯爵の要求は、『穏やかで、いくらか快活な性格を持ち、気分が晴れるようなクラヴィーア曲』である
それに呼応し、2段鍵盤の機能を駆使し、カノンや対位法に代表されるバロックの変奏曲技法を網羅した、生命力と愉悦感に満ちたその音楽は、ある種の覚醒作用を持つ程である
不眠治療は、マイナスの感情をプラスの感覚に誘えることが基本であり、それを満たしている意味で画期的と言えると思うのである
曲は全体に3つの秩序原理に分けられる(15、21、25の3曲を除いて全てト長調)
1。。『
アリア』と題された、曲の最初と終わりに配される、静かな
フランス風サラバンドの低音部が主題となり、そこから30の曲が導き出されている
2。。3曲ごとの変奏が1グループで、その3つ目の曲がカノンで奏され、そのカノンが一度ずつ順に間隔を広げる
3。。15曲で1つの区切りで、全体が2つにコンセプトが分かれ、前半は緻密な構成感、後半は開放感の表現になっている
30変奏だけは、庶民的でユーモラスな曲相が加味されている
ゴールドベルクは、このように厳格で数学的に秩序だてられた曲にも関わらず、その純粋に音楽的、感覚的な魅力は計り知れない
多分に学術的な教授肌のレオンハルトの演奏だけに、その伝統や秩序は守られているが、そこにはこれ以上ない程の瑞々しくも柔らかな情感を称えるもので、温厚な人間味そのものをも窺わせる
録音も、半世紀前とは思えない程で、今現在に目の前で演奏され、それが再現されていると言われても疑わない程に冴えている
それでいてギスギス感がなく、他の奏者のような強奏部のやかましさもない
全体に一貫した音量、抑揚の節度があるのが一番のポイントだと思う
解釈が正統的、普遍的で、ここはこう表現して欲しいと言う理想を叶えている演奏である
スコブロネック制作の名器の音色も、一役買っている
その音楽内容と演奏の高度さ故に、チェンバロが聴きたいので、先ずどれか1枚を薦めてくれと言われれば、作曲家、演奏家の垣根を超え、この盤にならざるを得ない
まだ十代の頃、かなりバッハ好きだったんだけど「フーガの技法」と、この作品はさっぱり意味が解らなかったですね。特にこの作品はダラダラと練習曲を延々とやってる気がして訳が解らなかった(今でもリストの練習曲集などは意味が解らない(笑)) クラシックを三十年ぶりに聴き始め、アファナシエフに巡り会って初めて今まで解らなかった作品の意図や美点が目からウロコが落ちる様に理解できました。なので、この盤を名盤だと勧められ買ったもののさっぱり解らなくて困っている人はアファナシエフ盤を併せて聴いてみて下さい。ゆっくりと静かに、「ねぇこんなに美しい旋律なんだよ」「ここは構造が複雑そうだけど実はそう難しい事は無いんだね」とピアノで語りかけてくれます。 改めて聴くと、こんなにも色彩鮮やかで美しい小品集であったのかと驚きます、しかも各々が有機的に繋がっているので聴き飽きません、ワタシはディスク(2)の後半が好きですね。 録音も好きです、
ジャズもそうなんだけど七十年代のは総じて試行錯誤中なデジタルより、成熟の極みとも言える完成度のアナログ録音の方が良い… この頃、クラシックではダイレクトカッティング無かったのかな?有れば最高な音のはずなんだけど。LP一枚30分つうのがネックだったからクラシックは無理かな。
約25年前に都内で単館上映されていたのを観て、何と劇的側面を封印した映画かと驚いた記憶がある。その時は題が「年代記」ではなく「日記」だった。
この度、DVDを入手して1967年発表の映画であることに気がついた。ヨーロッパ映画が既成の枠を広げる熱気に満ちていた時代の作品だ。レオンハルト扮するバッハの演奏シーンと時折映し出される楽譜だけでほとんど構成されている。演奏シーンは1シーン1カットで、カメラの動きも少なく、同時録音の一発撮り。アンナ・マクダレーナのモノローグで筋の進行がわかるが、夫と妻が会話することもなく、そもそもバッハの台詞がほとんどない。
しかし、このような禁欲的な映画もあり、と私は支持する。バッハの曲や生涯を予めある程度知っておいた方がいいだろう。67年だからまだピリオド楽器での演奏が脚光を浴び始めた頃だが、当時の時代考証で再現されたバッハの曲(の断片)の演奏が延々続くのは、バッハ愛好者にはたまらない。添付資料も充実しており、モノクロだが画質は良い。
同じ音楽家の生涯を描いた映画でも、
モーツァルトの「アマデウス」とは対極にある作品だ。