斎藤孝氏の本は何冊も読んできたが、その中でも異色の一冊だと思います。
平易は書かれており、気負わず読めます。疲れたときに、パラパラと読み進めました。 現在、無職・貧乏で苦しんでいる人はもちろん、なんとなく惰性で日々を過ごしているサラリーマンや学生の方が読んでも、考えさせられる一冊です。
十分に名誉も知名度もある斎藤氏が、 あえて、なぜこの時期に、この内容を、小さな出版社の仕事でありながら取り組んだのか・・・ (本当なら、誰にも知られたくないような貧乏だったころの自身の体験を含めて)
気軽に読める文章でありながら、 いままでの斎藤氏の本の中で、一番強いメッセージを感じました。
名曲は何十年、何百年たっても人の心を揺さぶるといいますが、その言葉はこのような曲のためにあると言えます。
最初のイントロの掛け声からは浪曲か演歌のような(古臭い)土着的な感じがします。 しかし良く聞くとこの曲の基本的なモチーフは美輪の得意なシャンソンです。 シャンソンと日本固有の太鼓のリズム、明と暗を巧みに組み合わせて、語り、訴えかけるこの曲は日本古来のものとシャンソンのモチーフが巧みに組み合わされ、見事な仕上がりになっています。
家庭の為に身を骨にして働く母の姿に感動し、いじめや困難、貧乏にもめげず、思いを成し遂げる息子と母に対する思い出を語った曲ですが、50年近くも前の曲が魂に訴えるような感動を起こすのは、少しも不思議ではありません。
民放で放送禁止になったために長い間埋もれていましたが、曲の持'つ魔力にも似た「叫び」は世代の違う私にもメッセージとして伝わってきます。 この曲は苦労しながら働く労働者の為に作った曲と言われていますが、中身は誰でも素直に感動できる暖かいものです。 音楽で感動したい人に世代を問わず推薦します。 また古い曲だからとか、美輪明宏が歌っているとか・・・そんな先入観のある人ほどこの曲を聞いて頂きたい。
この曲の中身はまさに衝撃です。
時代を超えて感動を起こすものが芸術だとすれば、この曲は間違いなく芸術です。
一世風靡したカウンター・テナーの美声を聴くことは適わないですが、地声とフルセットを巧みに駆使しながら、歌心を精一杯表現している米良美一がここにいました。
声楽家にとって声が出ない苦しさはいかばかりだったでしょうか。スキャンダルもまた彼を苦しめました。その逆境をはねのけ、どん底から這い上がってきた米良美一ですから、凡庸な曲など一つもありません。選曲が凝っていますし、一筋縄ではいかない曲を、「こう歌いたい」という熱いハートで見事に歌い回しています。
クルト・ワイルの「ユーカリ」も良かったですが、ベルトルト・ブレヒト詩の「スラバヤ・ジョニー」は、米良美一の新境地が如実に表れていました。プロの声楽家は蘇ったのです。声に頼ることなく、類まれなる表現力を身につけて不死鳥のように・・・。 リーフレットの湯川れい子さんの気持ちのこもった文章もその通りだと思いました。
現代日本の最高の詩人・谷川俊太郎作詞と武満徹の生みだした「死んだ男の残したものは」「うたうだけ」「ぽつねん」の3曲もいいですね。前の2曲はカウンター・テナーの唱法ではなく、地声とでも言うベき、ハイ・バリトンの声を使用して歌いきっています。歌は気持ちで歌うものという境地でしょう。 「ぽつねん」のおばあさんの心情を歌いあげた表現力には心を打たれます。山田武彦のハーモニカの伴奏と米良美一の歌唱によるアンサンブルは声楽家によって歌の印象がこれだけ変わるのだということを示した一例でしょうか。
ラストの「ヨイトマケの唄」は、数年前偶然見たNHKの番組での素晴らしい歌唱との再会でした。テレビを通して気持ちのこもった歌に感銘を受けたわけですが、このCDでもその印象は変わりません。美輪明宏の歌が耳に残っている世代ですが、甲乙付け難い表現力を聴かせてくれました。
辛酸を舐めた者のもつ凄みを身につけて米良美一は再び名歌手としての道を歩もうとしています。世界が絶賛したカウンター・テナーの美声とは違う人の心をつかむ歌唱法を磨きあげてこれからどのようなステージに立つのでしょうか。
美輪さん本領発揮の唄です。三井三池闘争を知っている者は、皆さん、元気が出ると思いますよ!
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