本作品の映像美について、さらに述べる必要はあるまい。薫るようなポエティックな映像が描く、愚鈍な、散文的な、あるファシスト。退屈だが、今は、この点について書きたい。ファシスト(とても曖昧な定義しかできないけれど)が弱虫で卑怯者であることは、皆よく知っている。怖いから叫ぶ、しばしばファシストは、狂おしいまでに喧しいのである。ムソリーニ、ヒトラー、ジャック'ドリオ然りである。けれど、本作のマル
チェロは静かなファシストである。内的なトラウマは、彼をファシスムに走らせたが、その信奉は、彼をさらに苦しめる。マル
チェロは、決して快哉を叫べない不幸なファシストである。無論、本作において、ドミニク'サンダの官能と耽美の刹那にため息をつかずにはいられないが、あえて、最も衝撃的なシーンはと言えば、ラストシーン、すべてをファシスムに帰して、罪科を口汚く告発するマル
チェロの姿である。醜悪であるが故に、真に人間的であり、おそらく大多数のファシストは、こんな平凡で姑息な人々だったのではないか…。ここに、マル
チェロはついに救済されたのだと思う。ある、もう一つの、物言わぬファシストのフォルム。原題''Il conformista'は同調者の意。私は、本作の中に、ベルトリッチ特有の省察と異形の美学もまた見出すのである。私の最も愛する映画の一つたる所以である。