奥州藤原氏といえば、芭蕉の俳句に代表されるように儚い栄華の象徴として語られる。
然しながら、その実態については多くの謎に包まれたままで、未だ解明には至っていない。
即ち、私達が信じている話も、実はその多くが『吾妻鏡』等によって伝承されたに過ぎないものも多いのだ。
そして、そうした謎の一つ一つに迫りつつ、
奥州藤原氏の全貌を解き明かそうというのが本書。
藤原氏の歴史は勿論の事、当時の都との係わりと発展、そして清衡、基衡、秀衡の人物像、更には中尊寺金色堂に残る遺体の検証結果に至るまで、この一冊で
奥州藤原氏の全てが解る非常に貴重な著作である。
これだけ研究が進んでいながら未だ知られざる謎が多い理由はただ一つ。
即ち、極端な資料不足である。
これは恐らく、都から遠く離れた奥州という地にて活躍した一族であるだけに、例えば貴族の日記等のように、信憑性が高いとされる文書中での記述が少ないという点、そして、何よりも滅亡の際に多くの資料が失われてしまった点に尽きるであろう。
然しながら、著者はそうした苦しい状況の中でも、少ない資料を手掛かりに徹底的な
調査と分析を繰り返し、かなり説得力のある論を展開している。
文章も懇切丁寧で、どのような部分が謎として残り、またそれをどう解釈出来るのかという事まで導いてくれるので解りやすい。
勿論、推論で終わってしまう部分は多く見受けられるが、それは著者自身も「今となっては知りようがない」と正直に認めており、決して無理に自論をこじつけて読者に押し付けるような事はしない。
こうした姿勢は、読む側としても非常に清々しく、却って著者の意見に賛同したくもなった。
また、通常このような著書は「成立から滅亡まで」時代を追って話が展開する事が多いが、本書はいきなり「滅亡の日」から始まっているのが劇的で、それだけに話の展開が実に軽快でもある。
お陰で最後まで面白く一気に読めてしまった。
実は、恥ずかしながら私自身が
奥州藤原氏については曖昧な知識しか持ち合わせていなかったので、この一冊を読んだ事に依って今まで知らなかった事、誤解していた事がかなりクリアになったと思う。
実に有益な書であった。
平泉が世界文化遺産に登録されたことで、
観光、歴史の中にようやく登場した
奥州藤原氏の詳細な歴史書である。
どちらかといえば、奥の細道などに先行された
過去の栄華的見方から一転、積極的な歴史として
考察されている。
坂上田村麻呂以降の東北地方の空白の歴史
についても、少ないながら、安倍氏、清原氏、
前九年の役を通し言及されている。
重要なポイントは、彼らが一貫して朝廷に反抗し
蝦夷が政治的にまとまろうとしたという従来の見方
とは別に、平安後期の院政の一環として、
蝦夷の支配を任されたという見地、それ故
奥州藤原氏の
隆盛を可能たらしめたという考え方だ。
源頼朝により滅ぼされるまでの奥州藤原3〜4代の
栄華は、今では
平泉に残されるのみである。
しかし、その文化は「鎌倉」に先んじて世界遺産に
登録され、今彼らの精神的高貴さが、現代の我々や
世界に認められたのである。
奥州藤原氏と朝廷・武士(中央権力)との関係が、
「フクシマ」と一部重なり合ってしまうのは、
私だけだろうか。
末筆だが、不屈の精神で復興されることを願って止まない。