子供の頃、虫プロのコミックスで、寺田ヒロオの作品(スポーツマン金太郎?)を読んだ記憶がある。
当時「少年ジャンプ」に現在進行形で連載されていた、ちばあきお「
キャプテン」と比べると、いかにも古臭く感じたものだ。
手塚と違って人体デッサンもしっかりしているが、そもそも主人公が非日常的だったし、絵柄や構図が客観的過ぎる。
寺田のエッセンスを継承するのは、同じく「トキワ荘マジメ派」であった藤子F不二雄か。
鈴木伸一氏や我孫子(藤子A)氏による「テラさん」像も感慨深いが、それ以上に寺田ヒロオの妹さんの手記に見られる寺田ヒロオ観と兄の思い出は雄弁であり得るところが大きい。できれば、寺田ヒロオ夫人の書いたものも読みたかった。
元来、子供は新しい刺激やまだ知らぬエロの世界の片鱗に強く引き付けられるものだ。だから、善導しようにも限界がある。
それでも寺田ヒロオは己の美学を貫いた。
「人付き合いが苦手」と語る彼は、本当は作品ではなく、行動で己の美学を表現する「くらやみ五段」のようになりたかったのではないか。
同じ話を梶原一騎ならどう書くか?と仮定して比較すると、押し付けがましくはなく、むしろその作風は淡々としているように思う。
寺田の全盛期は昭和30年代だが、巻末の年表によるとその後昭和40年代まで「スポーツマン金太郎」が学年誌に連載されていたようだ。
子供に受けなくなっても、大人達は寺田の稀有な持ち味を理解していた、ということか。
川本三郎の「お墓参り」に登場する寺田ひろおは野球少年漫画「背番号ゼロ」で有名だった。みんな読んでたな。いまは誰もしらないらしい。ハイカラな漫画で「ゼロ」の家庭でヒットを打つとホームランだったかお母さんが「カツレツ」を作ってくれる。川本は都会のいいとこの子供だから食ったことあるだろが「とんかつ」も食べたことない。野球のルールにも厳しくゼロ少年が審判をしていて打者の立つラインがあるじゃない?それを踏んでバントしたら三振と同じでアウト。それで判定を巡って喧嘩。これ知らなかった。トキワ荘は
池袋の近く椎名町だったかな?私の南
池袋の下宿の近く。見にいったが何所か解らない。なんか悲惨な最期を遂げて意外。野呂という作家は早稲田と関係なし。元自衛隊員。珍しい。自衛隊といえば。まあいいか。森敦と同じ受賞。日野啓三なんか落選。太宰の娘さんも落選だから実力者。よんだことない。名前がよめなかった。永井荷風は東大でない。しかし慶応大学教授。三田文学である。知らなかった。川本も小石川の生まれなの?高校は麻布学園。麻布に荷風の家があった。空襲で焼失。二人ともおぼっちゃん。ポルノを書いたとは知らない。ほんとなの?慶応の先生がそんなことしていいの?よんでみたいきも。ストリップは好きだったとか。見たことなし。ノーパンしゃぶしゃぶは1度でいいから行ってみたい。お終い。俺なんか楽しいことなにもなかったよ。それなのに「品性を疑う」悔しい。
あまりにも有名な「トキワ荘」。手塚治虫をはじめ寺田ヒロオ、赤塚不二夫、藤子不二雄、石ノ森章太郎・・・という、いづれ漫画界の巨匠といわれる「才人」たちが将来を夢見て一同に集っていたという、ある「アパート」の物語。その住人、通い人だった(今日では)ビッグネームの漫画家達が、その「青春時代」を過ごした「トキワ荘」を各々が思い入れたっぷりに描いている「トキワ荘物語集」。なるほど、話では聞いていたが、これを読むと当時のトキワ荘での様子が手に取るように分かりやすく描かれていて、あらためて、その奇跡的な才能集団に驚かせられると共に、貧しいけれど、そこには若さがあり、不安があり、仲間があり、情熱があり、そして「夢」があったんだなあという、こちらまでノスタルジックになってしまう良作品である。各々の
タッチが皆、個性的で楽しく、やはりというか、先ず最初に登場する手塚治虫氏の「擬人法」で完全に「トキワ荘ワールド」に吸い込まれてしまうこと必須である。巨匠たちの描く各々の「トキワ荘」、この夢のような世界が実際に存在したのである。