占領統治期間における日本の国名は、「連合国統治領日本」。国旗も日の丸ではなかったことをネットで知りました。
マスコミはAだのBだのと騒ぎ立てる前に、「戦犯」とされた方々は日本が主権を回復した後、”戦犯”釈放運動により短期間で四千万人もの署名を集め挙国一致ともいえる運動が展開された結果、名誉回復がなされ公文書では「法務関係死没者」(略して「法務死」)とされていることをなぜ先に報道しないのか本当に不思議です。本書では主権回復後も社会から隔離されて服役しなければならない”戦犯”とされた方々を当時一流の芸能人が競うように慰問に赴いたことや
横綱照国一行が巡業したり日劇ダンシングチームが美脚を披露した等のエピソードから、当時の日本国民がABC級を問わず”戦犯”と呼ばれていた方々にどのような感情を抱いてどう処遇していたのかが紹介されています。また「長く複雑な経緯をたどってきた靖国神社問題は、常にその時代時代の人々の思いや心情に即して考えることが大切で、決して現在の感情や価値観で裁いてはならない」という大原康男國學院大学教授のお言葉が心に深く残りました。
マスコミは首相の靖国参拝を執拗に煽るのをやめて、本書に記されている諸外国の要人の方々が靖国神社を参拝されていることを先に報道していただきたいです。
偶然、この放送とほぼ時を同じくして刊行された三土修平著『靖国問題の原点』(日本評論社、2005年8月15日刊)の、「著者からのコメント」に次のようにある。
「靖国問題については、憲法の解釈問題、国民感情の問題、現時点での外交政策の問題などとして論じられることが多いが、発端となった靖国神社の戦後改革そのものが駆け引きと妥協の産物であったという歴史的事実をきちんと踏まえた議論が意外なほど少ない。2005年8月13日のNHKスペシャル『靖国神社』はこの点に光を当てた画期的放送だったが、著者もまた同じことを前々から考えていて、そのことをメインのアピールとする形で今回この本を書いた。国家施設から私法人へという靖国神社の改革は、従来国家護持派が唱えてきたように『GHQに一方的に押し付けられた不当な改革』でもなければ、逆に護憲派が唱えてきたように『政教分離というすばらしい理想を貫いた画期的改革』だったわけでもなく、信教の自由を逆手に取ってその反対物である国家神道思想をなるべく無傷で延命させようとした、目的と手段のねじれを含む改革だったのだ。昨今の靖国問題は、何よりもまず、同神社の改革が当初から含んでいたこうした矛盾の顕在化なのである。」
この本の巻末の詳しい年表と対照することによって、このNHKスペシャルのどの場面は何を言っているのかが、手に取るようにわかる。
なお、このテレビ番組の取材
スタッフの要望に応じて満97歳でインタビューに応じたもとGHQ
スタッフのW.K.バンスさんは、3年後の2008年7月23日に満100歳で天寿を全うされたが、その訃報が日本の新聞に載ったのは、奇しくも同年8月15日だった。すばらしいシンクロニシティーである。謹んでご冥福をお祈りする。
(追記)このNHKスペシャルを制作した
スタッフによる中村直文+NHK取材班著『靖国―知られざる占領下の攻防』もぜひ読むべきである。
心の琴線に伝わってこない。ここ10年のよしりんは、正論ばっかりだから、相手は勝てない喧嘩はしないので結果としてみーんなに無視されている。もっと戦略的に、スキを見せといて論戦で圧倒的にブチのめすというエンターテイメント性のあるやり方で、もっと広い読者層を拡大して欲しい。還暦を迎えて、油が抜けてしまっている。