絶対に買いですね。 聞いていて、ふと、平野啓一郎さんが小説「葬送」を書かれていたころの風貌を思い出しました。 「葬送」は年々、重みを増してるような気がします。 芸術も消費されるためだけに作るられることも多い世の中で、作家がある決意を持って、自分の作品と真剣に向かい合い そしてそれが、色あせないのは奇跡的なような気がします。 ただ、純粋にこの音楽に向かい合ってみたいと思わせる輝きが、このCDにはつまっています。
前作「かたちだけの愛」は、愛というテーマを分人主義のフレームワークで語った。この小説は、それを自分自身、死者、そして世界にまで考え方を広げて、「自殺」というテーマの中で上手く消化している。とても上手く。
若干分人主義の説明くさいところも鼻につくこともあったけれど、プロットや伏線の回収の仕方、言葉の使い方は素直に感心してしまったし、何より深い感動に心が震えた。 それは思いやりであり、人間が素直に希求する何かを的確に捉えているからだろう。
「自殺者が生き返る=復生する」という突飛な世界観を丁寧に伝え、それを限りなく有効に働かせている。こうした著者の世界観の作り方には毎回感心させられるけれど、それをスムーズにやってのけるのは卓越した筆力と構成力に違いない。
いずれにせよ、読んでいて共感で涙がこぼれる小説はなかなか出会えない。自分の中で大切な作品になっていくのだと思う。
「まえがき」で著者も述べているとおり、本書の内容は多くの人が既に知っていることである。「一人の人間は、複数の分人のネットワークであり、そこには『本当の自分』という中心はない(p.7)」という観点は、すべての存在は縁によって生じ滅するが、不変の実体的存在というものは無いという仏教思想にも似たところがある。雨に煙る山の姿、また新緑につつまれ陽光にかがやく山の姿、どちらも本当の山であって、どちらかが偽物であるということはない。良い縁が結ばれることもあれば、悪い縁につながってしまうこともある。極端な場合、ふとしたはずみから犯罪者となってしまうことすらありうる。本書の中には、好ましくない例(スムースに『分人化』できないゆえのトラブル)についても触れられている。 我々人間は、「コミニュケーションが成立すると、単純にうれしい(p.66)」ゆえに適切な分人化を通じて良い「縁」を結べるということが人としての成熟であり洗練であり、生きがいといえるのかも知れないと思う。そのためにはいつも相手に対してよく目を開き、耳を澄ます必要があるだろうし、他者との距離のとり方、といったこともそこでは問題となるだろう。後半の章は話が大分広がって、すべてが「納得」とはいえないところもあるが、本書最終行近くの、「大好きな人間の中にも、大嫌いな人間の何かしらが紛れ込んでいる(p.174)」という記述は小説家らしく、興味深かった。
崇高な雰囲気の中で流れ出す音のベール。青い蝶の一曲目AsianFlowerからはそんなイメージが出来てしまった。幻想的である故、霧に霞んだ中をさ迷う感覚…それでいてダークな雰囲気では無くその場で森の音に聞き入ってしまう…そんな錯覚に陥った。このCD青い蝶は一枚で人間の喜怒哀楽や感情を表している一枚だと思う。一つのCDという音源作品ではあるが、一曲一曲がまるで短編映画を見ている気分になるぼど酔いしれてしまう。 また、トベタ・ジュンにFEATしている様々なアーティストにも注目出来る作品だ。
短編2編+表題作「透明な迷宮」など中編4編の作品集です。平野さんが「ドーン」や「空白を満たしなさい」などで提唱している分人主義的な考えは本作にももちろん反映されています。また愛とは何なのかをそれぞれの作品でキーワードにしていると思うのですが、いったい人は何を好きになるのか・・・、愛するということは相手の存在(精神)なのか、それとも2人が共有した経験(出来事)なのか。分人主義とうたってませんがわかりやすく生かされています。また別の作品では愛と孤独……、家族愛なども描かれ、複雑で様々な人間関係や家族というものをしばらく考えさせてくれる、とても読後感の素敵な作品でした。
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