特に遠藤郁子の演奏に限ったことではないが、
ショパンの前奏曲は全曲通して聴くと、まるでひとつの長い曲であるかのような気がしてくる。少なからず、前奏曲を演奏しているピアニストの方々は、そんな気持ちで弾いているのではなかろうか。もちろん、全ての前奏曲を美しく弾いてくれることが前提だが。遠藤郁子はそれができている。
ノクターンの中でも傑作なんだろうが、自分的に腑に落ちる演奏に出会えなかったOP.48-1に「目からウロコ」の大正解でした。特に平板な中間部の演奏が多い・・・初めて、おそらく
ショパン自身のイメージそのものの演奏に出会えました。
バラードの完成度も驚きでした。恥ずかしながら日本にこんなに素晴らしい「
ショパン弾き」がいるとは知りませんでした。
OP.62-1も「目からウロコ」・・・著作「音霊の詩人」付録CDの中では嬰ハ短調の遺作のノクターンが素晴らしい。著作の中で独自の呼吸法のことを書いておられるが、そのせいか特にノクターンとか
バラードのように息の長いフレーズを唄わせるのが超一流だ・・・
遠藤郁子という人の勁い思考を書き留めて置きたい。
ピアノに熱中しているときは、頭の中がオタマジャクシで満杯になる。脳の右側がとびだしているように感ずる。
原稿書きに集中すると頭の中は「文字が躍っている」感じになる。左の脳がとびだしているように感ずる。
二つのことを並行してやることが絶対出来ない。
ピアノを弾くときの体と精神、ものを書くときの体や頭の使い方、精神状態が別々に存在するのではなかろうか。
乳がんからの再起を契機に衣食住全部を「洋から和へ」徹底的に切り換え能、茶道、華道、日本人固有の体の使い方ー動法を学び貪欲に吸収した。日本人である自分の足許をどんどん掘り下げ始めた。「日本古来の知恵」は、新鮮で毎日が驚きの発見、また発見の日々だった。
小学生のひろちゃんは、過ぎ去ったすべてのこと(白血病)を「ありがとう」と感謝し、そしてこれから来たるべきすべてのこと(死)を「はい」と言って受け入れ逝っていった。
細川ガラシャの辞世、「散りぬべき とき知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」をわかっていた。
この辞世は、副題の「みえるもの、みえないもの」のように著者の云う「表裏一体」である。
余談であるが、ガラシャの辞世には驚いた。
というのは、良寛の辞世と云われている「うらを見せおもてを見せて散る
紅葉」がどうしても解せなかった。二見相対=二人連れで悟った人のものとは思えない。
どうやら、良寛がいまわの際に谷 木因という人の句「裏ちりつ表を散つ
紅葉哉」を貞心尼に呟いたのを整えて「蓮の露」に記したのが真相らしい。これで、腑に落ちた。
遠藤郁子は、
ポーランドの美しい古都クラクフ(蒙古軍が攻めてきた歴史がある)で20歳から5年間を過ごした。よき師に恵まれ人生観はこの地で培われた。
ポーランドの悲劇の歴史、
スラブの民に特有の民族性、「ジャル」−静かな悲しみの気分、日本語でいえば「もののあわれ」。
そして、
ポーランド魂という「決して屈服しないぞ」という精神である。
その後、
パリで7年間ラヴェルの権威に師事した。
ショパン演奏の
ポーランドスタイルも
フランススタイルも恩師のスタイルを盗むことで身につけた。
「正統的な」、「錬鉄のようなテクニック」といわれ最高に輝いていた。そしてそれは、40歳になって、「自分は日本人以外の何ものでもない」と気づく時まで続いた。西欧や東欧の名ピアニストたちの<そっくりさん>に終始していた自分の音の虚しさ」に気づくまで。
そしてそれは、「生とは、何か?」という究極の問に通じていく。
それからは、「内側についた眼」で日本を見つめ日本人、故郷である北海道人としての自覚を深めた。腰痛を境にしてピアノを弾く時の胸中心の西欧スタイルを捨て、日本古来の丹田中心にした。それは、日本人にとって合理的であり「整体」を学んだことによりわかった。着物で演奏するのは乳がん手術後それが一番楽であるからである。
乳がんを契機に「我欲を含め全てを捨て去ること」にし離婚した。
一度死ぬと全てが幻となった。この世の「見えるもの」を全て捨て去った。縋るものも「断ち切った」。
全ては、表裏一体であり、「天悪偽」である。
「元気な花を買うよりも店頭で弱って捨てられている
鉢植えを買ってきて元気になるまで育てるほうが喜びを感じる」という言葉があるが突然、別の世界が開けたように感じた。
無一物の勁さと慈悲がある。
CD(60分)付き。
ショパンの遺作 ノクターン嬰ハ短調は、一音がまるで香りが立ち昇るようで、生きていることを喚起させる音質である。著者のいう音霊である。人工的な嫌味がない。
オギンスキのポロネーズイ短調も。
ピアノは、スタンウェイ。