シェイクスピアの時代にもツンデレはいるんだ、ということがわかる小説。
じゃじゃ馬ならしのケイトは違う気がするが、空騒ぎのベアトリスは紛れも無くツンデレ。
どころか、べネディックのほうも鈍感さを発揮しており、とても400年前の演劇とは思えない。
『じゃじゃ馬馴らし』は問題作でもあり、手の付けられないじゃじゃ馬娘キャタリーナが、剛毅な男性ペトルーチオに力ずくで口説かれて結婚に追い込まれる。だが、二人は対立しているようで、実は最初から息が合っているのだ。第二幕第1場、初めて会った二人の、丁々発止の遣り取りを既訳と比べよう。キャタリーナの台詞、It is my fashion, when I see a crab.の、crabを、福田恒存は「蟹」、小田島雄志は「ゲジゲジ」、松岡和子はcrab appleの省略形と見て「ヒネた酸っぱいりんご」と訳す。(福田訳)「ペ:そんなしかめ面するものじゃない。/キャ:これがあたしの癖なの、蟹を見るとね。/ペ:何を言う、蟹なんかどこにもいない。さ、だから、そんな渋い面はかたづけて。/キャ:それがいるのだもの。/ペ:じゃ、見せてくれ。/キャ:鏡さえあればね。/ペ:じゃ、僕の顔がそうだと言いたいのだね?/キャ:よく分ったわね、若いのに感心。/ペ:そうれ、おっしゃる通り、この腕っぷしが若さの賜物。/キャ:いずれ、くたびれるでしょうよ。/ペ:天の恵み。/キャ:天の助け。」 (小田島訳) 「そんなしかめ面しないで。/これは私の癖なのよ。ゲジゲジを見たときの。/ゲジゲジなんかいないぜ、だからしかめ面はよせよ。/いるわよ、ゲジゲジが。/どこに?/鏡があれば見せてあげられるけど。/なんだ、俺がゲジゲジ面だと言いたいのか?/よく分ったわね、その若さで。/もちろん俺には若さと美貌があるさ。/皺もあるわ。/苦労したんでね。/ご苦労様。」 (松岡訳)「さあ、そんな渋い顔しないで。 /私、こういう顔になるの、ヒネた酸っぱいりんごを見ると。/酸っぱいりんごなんてここにはない、だから渋い顔するな。/あるわよ、そこに。/じゃ見せてごらん。/鏡があれば見せられるけど。/え、僕の顔?/よく当てたわね、その若さで。/確かに僕は君には若々しすぎる。/なのに皺だらけ。/苦労したからね。/ご苦労さま。」鏡に映るペトルーチオの顔に喩えているのだから、crabは、蟹やゲジゲジではなく、さえないリンゴだろう。