性的倒錯、耽美、頽廃、官能美、倦怠、俗悪、そして滅びのロマンティシズム、、、これらは、この映画を評する際、必ず謳われるキー・ワードの数々であるが、
イタリアの巨匠ルキノ・ヴィスコンティが、ブルジョア階層の没落、ファシズムの台頭、ヒトラーの第三帝国の隆盛と不吉な予兆、という3つのコンセプトを題材に描けば、必然的にそうなるであろうと実感出来る傑作だ。他のヴィスコンティ作品同様、重厚でデカダンス溢れるオペラの如き濃厚なドラマが、2時間30分、じっくりと展開する。当時20歳だったシャーロット・ラン
プリング(!)を子持ちのエリザーべトに抜擢したヴィスコンティの慧眼ぶりもさすがだが、物語の核となる母子を演じたイングリット・チューインとヘルムート・バーカーが白眉の素晴らしさだ。ベルイマン映画とは全く違う顔を見せるチューインの狂気じみた演技、そして、晩年のヴィスコンティに文字通り寵愛されたバーカーの、幼女姦通、女装、男色、母子相姦と、グロテスクながらも、他の俳優たちを駆逐する強靭的な存在感が凄い。
ダーク・ボガードは、この作品の撮影前に言っています。「この役は魅力的ではない」そして、撮影が始まってからは、「シャーロット・ラン
プリングは今に大スターになる」と予言しました。
確かにもっともでした。この作品のフリードリッヒはまったく魅力的ではありません。ヘルムート・バーガーの映画だったのですから。主役には違いないものの、ベルイマン作品に常連のイングリッド・チューリンともども、おいしいところは皆バーガーが独り占め。ラストの死は哀れです。また、22才のラン
プリングの眼!すでに、あの眼はありました。そして、あっという間にスターに上り詰めました。ボガードの勘は見事に的中しました。
この作品で、ボガードは「ベニスに死す」での主役に認められるための、ステップを踏んでいただけなのかも知れません。
なんというか「やはりビスコンティやな」っと思わせてしまう重厚さでした。ヒトラーが台頭する虚虚実実の駆け引きの流れを知っていないとこの映画の面白さは半減するかもしれません。なぜナチス同士が殺しあうのか?って途中で訳が分からなくなる人もいるでしょうから。この事件で唯一ヒトラーを「おい」って呼べた同士(突撃隊のレーム)を抹殺してしまうことになります。まあこれで誰も気兼ねする人はいなくなったわけです。
ドイツ人の映画のはずが
英語ですし、スウエーデンの大女優イングリッド・チューリンからイギリスのシャーロット・ラン
プリング(この人この手の映画よく出ますね)、青年は
フランスの
ルノー・ベルレーでしょうか??俳優さんは盛り沢山です。ラストシーンは狂気ムンムンですね。ビスコンティはナチスを狂気と見たのでしょうか?