なかなか興味深い私小説です。本当に自分で書いたの?と問いたくなるほど深く自分の内面を掘り下げてしっかりとした文章にしています。なかなか高卒の芸能人ではできませんね。構成はかなり難航したようで、何度も編集者に大幅の変更を要求されたと書いてあるとおり、中心となる軸の移動の跡がみられますね。
本当は、文学作品か現代詩のようにもっとシンボリックな心情スケッチをつなげていきたかったのではないか、装丁をみても、ところどころちりばめられた太宰・三島・ニーチェ・クリムトというキーワードを垣間見ても、もっと言葉を使ったシュールな文芸実験に取り組みたいと願っていたのではないかと思う。結局は、荻野目本人より何倍も有名人で影響力のある映画監督深作欣二との親密な関係をメインにした回想録が勝ってしまったようだ。それが圧倒的多数の読者の読みたいところ・・・・ということはないと思うのだが。
幼い頃の事故が起因した身体の不全により心気症体質に悩まされ、常に不安に支配されることで現実を謳歌し、将来を楽観することの許されなかったエリート女優、荻野目慶子。大人になるビジョンすら持てないまま本人いわく「向いていない」芸能界で刹那の日々を送る。生きているうちに少しでも多くを体験し、人生探求を遂げんと選んだのは女優は女優でも悲劇女優のコースであった。悲劇は終末への最短距離をとるので荻野目の目的を満たすには好都合であったのだが、現実における思わぬ共演者達の振る舞いによってそれは延々と抜け出すことのできない長編悲劇へと変わったのだった。
深作のかげにはなりながらも、はじめの演出家とのスキャンダルにもかなりの紙面を割いて綿密に思い出を綴っている荻野目。テレビ局入社20年でうだつの上がらない彼が一代博打を打って
メジャー映画監督に挑戦、長年の夢ではあったがそれが負け職を追われ失意に陥る・・・・そこで同情からその慰め役になったのが若い売れっ子の自分だったと、冷静に分析する荻野目。相手を勇気づけ勝ち組へと再スタートさせることが無理であり、堕落を共有することでしかないことをはっきりと自覚している。
私は当時1988年のラジオ放送で細川俊之と対談する荻野目慶子を聴いている。録音して何度も何度も聴いたので内容も話し方も息のつき方も全てが鮮明な記憶の中にあるのだが、「私はみんなと同じ次元では満足できない。世界を念頭に置いた表現者でありたい」というシュールでありながら強い意志を顕していた。荻野目は高校時代にクラスの性体験のある女子のグループに嫉妬していた、と同著で正直に回想しているのだが、この性格からすると「普通のボーイフレンドでは満足できない、私は芸術家なのだからより深い人間性を理解するため他と絶対違う経験をしよう」という決意がもう十代で芽生えていたことも考えられる。
つまりは荻野目にとって演出家との同棲は、最善の選択では無論なく、デカダンスという時代はずれな特権への自己投機だったのである。とはいっても23歳、バブル期のセレブ23歳。全面的に演出家との運命を受け入れたわけではなく、正直、同居されるのは迷惑で邪魔だったということも語っており、有言無言で嫌悪をあらわし無職の相手を追い詰めたということも匂わせている。私はむしろこの部分が救いのような気がした。落ち行く中年男と一心同体だというのはあまりに不具であり、あまりに悲劇だと思うからだ。
はっきりとした言葉を使い、言いにくいことにも正面から取り組んでけなげに闇を文字化することに精を出す荻野目だが、いくつかの点は曖昧なままにとめられている。演出家との交際は、87年「河合義隆を囲む会」での露骨なセクハラがきっかけだと言っているが、一説には85年のドラマで仕事をした際からはじまったというのもある。いづれにせよ、どうして妻子のある男を受け入れたのかを「強引なセクハラ」だけで説明するのは無理がある。その心情をどうせなら赤裸々に語ることが自伝の一つの鍵になったのではないか、と疑う(深作の場合も、明らかなパワハラ・準レイプによるスタート)。荻野目を最初に官能の世界に導いたのは演出家だったのだと言うが、晩年の深作とのある性交に恍惚となった時には「オルガズムを今まで知らなかったわけではないが・・・」と、まるで過去の相手を堪能していなかったかのような証言をしている。非常に曖昧で気になるな。
なお、荻野目は湾岸戦争の時代における河合との思い出を回想しているのだが、湾岸戦争は河合が故人となって3ヶ月以上経って起きたことを知っていたのだろうか。もしくは・・・・それからも荻野目の中では・・・
女優・荻野目慶子の歴史的傑作ヘアヌード写真集(1992年の作品)です。
当時28歳のトップ女優が脱いだということで非常に話題になった作品〜
身長152cmと小柄ながら、その形のよい胸とお尻はかくも艶かしくも美しい。特に丸みの強いヒップからスラリとのびる太腿のラインは眩暈を覚えるほど。
映画監督との浮名を数多く流した彼女だが、そりゃ〜こんな女優が手の届くところにいれば、深作欣二ならずとも惑うだろうな・・・と納得させる魅惑的なオンナを演じています。
このシリーズの熱心なファンというわけではないのですが、この作品は見ごたえがありました。主演の荻野目慶子が中年に差し掛かった女性の屈折した心理を演じています。同じような年齢にいる人には、わかる部分が多いでしょう。夢一杯で結婚して、その夢が少しづつ萎んでいって、消えかかったところに突然、若者の強引なまでの求愛。飼育という
タイトルと少し、主題は距離があるように感じられます。考えられたエンディングも見所でしょう。最初からじっくりご覧になることをお勧めいたします。どちらかというと救われない物語ですので、そのおつもりで。