1、3、5、の奇数の章が、一人の男性をパーソナリーティーに見立てた、架空のラジオ番組であるかのような描写になっていて、(このあたりのモノローグのテイストは、中島らも「超老伝―カポエラをする人」を彷彿とさせます。)
そして、2、4の偶数の章が、周囲の人間やその男性の過去と妻とのやり取りの回想、といった感じで進んでいきます。
はじめはなんのことだかよくわからないまま進むので少々退屈ですが、一章の終わりあたりから、男性の置かれている状況などが明かされてきます。
震災と津波について、ラジオでアントニオ・カルロス・ジョビンの「三月の水」となぞらえて描く組み合わせは、「菊地成孔の粋な夜電波」のシーズン1の最終回(2011年10月2日放送の終盤)を思い出すなあ、などと思いました。
四章での観念的な会話に、感情移入できるかどうか、が課題になるかと思います。
そして第五章のロマンチックさは、ある意味で絵空事のようにもなってしまうので、それに感情移入できるかどうか。
現在、生活上の目の前にある問題として、震災のもたらした被害と向き合っている被災者の人とかからしたら、ひょっとしたら少し「感傷ぶってる外野のきれいごと」に見えてしまうかもしれません。
初動としての災害は、人間の生き死にとか尊厳とかの問題なのですが、長い目で見たら、災害というものは生活費や社会保障などの、非常に生活感のある問題なんですよね。そういう点で、この本が扱おうとしてるのは、災害というより、一人の人間の死の、心にもたらすインパクトについてなのだと思いました。
個人的にはちょっと
スピリチュアル? な精神論みたいな感じでどんどん盛り上がっていく感じが、ちょっとついていけませんでした。
ごく個人的なことですが、親を去年亡くしているので、割と最近似たようなことを考えたりしていたことでもあり、後半の盛り上がりが「ちょっと違う宗派の説法」を聞いた感じで、違和感になってしまいました。
仏教徒がキリスト教の説法を聞かされてるような感じです。共感、というよりも、自分とは違う考えの人の報告を聞かされたような感じで、「君は君なりの、そういう結論に行き着いたんだね。なるほど」という、ちょっと距離の置いた読み方になってしまいました。
人の死とか扱う際は、どうしても「人それぞれの結論」に行き着くことが多いので、これは仕方のないことなのかな、とも思います。
ストーリーの特性上、どうしても「会話による過去の回想」か、「会話あるいはセリフによる現在の状況の解明」「会話による人物たちの思想の表明」になってしまうので、場所が移動するわけでもなく、ストーリーはあまり動きません。言ってしまえば、ちょっと幹に対して枝葉が多い印象もあります。
いとうせいこう氏の古くからの盟友であるシティボーイズのきたろう氏が「これ2/3の長さにできるよね」といとう氏に面と向かって発言したと、同じく盟友である大竹まこと氏がご自身のラジオで言っていましたが、それもちょっと納得できるかなあ、とも思います。
震災をきっかけに「しばらく人の死について考えてなかった」人にこそ効力をなす本でもあるように思います。
仏壇やお墓から遠ざかっているような人は、この本を「震災の本」としてとらえるだけでなく、もっと自身の意識として、先祖や身近な人の死を考えてみてはいかがでしょうか。
本当の「想像ラジオ」は、この本の中だけではなく、あなたの近くにも流れているのに、あなたが聞き逃しているだけなのかもしれませんよ。
リアルタイム性が強く、非常に取り扱いの難しいテーマに挑んだ作品であると思いました。
本書は、玄関先に、こじゃれた木製のコンテナを置き、こぼれんばかりの花をあちらこちらから吊るしているそういう『ガーデーナー』の方には向かない。彼らには限られたスペースの中で「鉢を増やしたい・・
っていうか増えていく、しかも庭じゃないと生育しにくいのに」と七転八倒する我々
ベランダーは滑稽にしか思えないだろうから。
しかし、 トロ箱に配色も考えずひたすら植え、道端に並べている婆さん達の流れを汲む我々
ベランダーにとって本書はまさにボタニカル・ライフを照らす道しるべ、『聖典』である。強く一読をオススメする。
レコードを持っていたのですが、また聞きたくなってCDを購入しました。レコードに収録されている曲のほか、
ボーナストラックが多数収録されていてお得感があります。東京ブロンクスのライブバージョンがとにかくかっこいい! これだけでも買った意味があると思いました。