この映画の[大ファン]なら、買って損はありません。
夜、人気の無い道路で車を走らせながら聞くと、別次元に入っていきそうで面白いですよ。
逆に、暗闇が怖い人、映画のファンでない人にはつまらないかもしれません。
二人のシュトラウスの音楽はもちろん、リゲティの音楽は圧巻です!
最後のトラックに、映画の音声が入っていますが、第三部のものだけです。
できれば、第一部の[ヒトザル]の声、第二部の[
宇宙ステーション]での音声も、順番に入れてもらいたかった。
ですので星4つです。
全体の7割以上が台詞の無いシーンで構成されており、ゆったりとした時の流れを感じさせる映画である。台詞のシーンは状況説明をしているにすぎず、実際、台詞の無いシーンのほうが観ていて心地好い。まるで自分自身が宇宙空間を漂っているような気分になり、“神秘”と“無限”を体感できる。
難解な結末については、原作・ハヤカワ文庫版にある「訳者あとがき」の伊藤典夫氏のことばが大いに参考になるだろう。
「ただ、宇宙船ディスカバリー号が、映像では人間の精子に似た形をとっていること、劈頭で流れる音楽が、リヒャルト・シュトラウス作曲の『ツァラトゥストラかく語りき』であることなどから、哲学者ニーチェのいう超人思想――猿から人へ、人から超人への進化の思想――が底にあることは考えられる。」
以上を鑑みて私なりの解釈を述べると、この映画は、謎の石板(一種の“神の意思”)によって道具を得た猿人が人類に進化、やがては道具(究極の道具であるコンピューター)をも凌いで、物質を超えた精神世界に入り、新たな超人類へと生まれ変わる、いわば新創世記であると思う。
時空を超え、自他の別を超え、老人から胎児となって新たな地球を眺める主人公。ボーマンが宇宙の果てで見たもの、経験した出来事は、明らかに心の深奥の世界である。それは、精神エネルギーこそが宇宙の根源であり、すべてを生み出す素になっている、ということを暗示しているのかもしれない。
とはいえ、この結末に関してはあまり難しく考えたり、無理に意味付けを行う必要もないだろう。禅問答ではないが、鑑賞者自身がそれぞれの感じ方で、何らかの“ひらめき”を味わえば良いと思う。