この本はほとんどが登場人物の会話文だけで物語が書かれており、情景の説明とか心理描写だとかはほとんどなく、台本といったところ。 よって映画を観た方がこの本を見て、映画以上のことを知ることはできないが、逆に説明過多になって映画の感動を損なうことはない。 特筆すべきは各ミュージカル・シーンの歌詞の原語と邦訳を収録しているところ。あの感動的なI've Seen It Allはもちろん、Next to last songまでも収録。
映画を観る前に、まずサントラだけ手に入れた私。どの曲もあいかわらずビョークらしい、キュートさとこわさの混ざったような、それでいて透明感のある曲ばかりだし、このアルバムではミュージカル風味も加わってますます素敵!と聴いていました。
しかし、映画を観てみると、楽しい曲なのだとばかり思っていた曲が、実は映画の中でも一番胸のつぶれるようなシーンに使われているではありませんか。歌詞もよくよく聴いてみるとかなりディープ…映画を観た方ならわかると思いますが、観た後はショックのあまり、しばらくこのサントラも聴くことができませんでした。
でも、やっぱり楽曲集として魅力のあるアルバムですから、今ではあんなシーンやこんなシーンを思い出して目をうるませつつ、何度も聴いています。
この映画がどうしてこんなにも人の心を掻き乱し、そして賛否両論分かれるのか。何度も何度も繰り返し観て(よく自殺しなかったな笑)なんとか自分なりに結論を得ました。 この映画は踏み越えてしまっているんです。つまり、主人公セルマは頭がおかしい、気の狂ってしまった人間なんです。だから、間違った選択を繰り返し、誰の助けも借りず、最後は息子のためにと幸せに死んでいく。 この主人公に「やっぱりお前は馬鹿だ、不幸だ」と誰が言える権利があるでしょうか。 そう、この映画のテーマはそこです。人間の幸せは主観的なものであるなら、自分を幸せだと強固に信じる人間を誰も非難できない。つまり、もしかしたら全ての人間の幸せに意味などないのでは、ということです。とても恐ろしい踏み越えてしまったテーマです。 この映画が、敢えてその恐ろしい問いに挑戦する武器として、想像力の美しさを選んだことに敬服せざるを得ません。ただ、勝利できたかどうかは観る人の判断ですが。 そして、この映画を徹底的に非難する人たちのレビューにこそ、僕は感動を覚えます。そこには、全ての幸せには意味があると信じようとする力強さを感じるからです。それこそが人間の想像力の持つ美しさだと思います。 敢えて踏み越えてまで、この映画を撮った監督に改めて敬意を表したい。
号泣した。
思い切り泣いたら普通すっきりするもんだけど、この映画は違った。
この映画で流した涙は人の心に巣食う恐ろしくて汚い部分をこれでもかとみせつけられ、精神を乱された涙だった。
「人間の持つ愛の力、それをねじふせる人間の残酷さ」
どちらも突きつけられて、本当に心が震えるという感覚だった。
「神様なんていないんだ。これが現実なんだ」
そんな絶望感を突きつけられたような気持ち。
好きな映画ではないけれど、こんな気持ちになった映画は初めてで衝撃的。
ビョークという媒体を借りて、こんな映画を作るなんてラース・
フォントリアーと言う人は良い意味でも悪い意味でも恐ろしい監督だ。