御小説は、私の友人である摩衆氏(M☆A☆S☆Hが筆名だが、敢えて雅号の摩衆と呼ぶ)の、電子書籍小説第一弾である。
摩衆氏は以前から小説執筆を試みていたが、止むを得ぬ事情で、暫く筆を折っていた。
御小説は、久し振りの断筆からの再開であり、氏の意気込みが、紙面からひしひしと伝わってくる。
執筆中に摩衆氏から伺っていたことは、御小説の主題である俳諧連句や頽廃文学の難解さであり、氏が以前に勤めていたアニメーション・コンテンツ制作やゲームソフト開発の顧客分析から鑑みた訴求力の弱さ、という点である。
謂わば、商品として一般受けしない要素が見受けられて、氏は悩んでいたのだ。
然し、その杞憂は一変する。
氏がその後に電子書籍小説を何作品か発表するにつれて、第一弾である該当小説の難解さが濃厚さに変異し、今の閉塞的な時代に向けて強力な存在感をアピールして、その個性が閉塞感を掻き回すのではないかと直感したのだ。
喩えば、御小説には、私をモデルにした初老男性の主人公が、時代に取り残されて四畳半の和室で寂しく暮らしているところに、偶然に手に入れたガラパゴス携
帯電話に表示されるSNS(
ソーシャル・ネットワーキング・サービス)から、俳諧連句を誘われるシーンが描かれている。
第一章から、「俳句ではなく『発句』であったのだ。//息子は、私に向かって、「俳句ではなく『連句』をしよう。連句の『付合』をしよう」と、隠語を駆使したコミュニケーションを仕掛けたのだ」という台詞が飛び交う様を見て、私は、ほくそ笑んだ。
一般的な読者を想定しているのなら、第一章からいきなり「俳句ではなく『発句』//俳句ではなく『連句』」とは言わないだろう。
寧ろ、「俳句は知っているけど、発句とは何? ましてや連句とは?」という読者が多いのが現状である。
そこを敢えて「発句」「連句」という認知度の低い言葉を使う姿勢に、リーダビリティとは真逆な「魔術的な文学メソッド」を感じた。
つまり、最初からいきなり訳がわからないことをすることが、逆にインパクトを与えるのだ!
この妖しい姿勢こそが、摩衆氏の文学的個性である、と、私は断言しよう!
他にも、「J.K.ユイスマンスの『さかしま』にインスパイアされている」と摩衆氏は言うのだから、19世紀頽廃文学に造詣深い諸氏は、是非、御小説を一読して欲しい。
摩衆氏が、どのように頽廃文学を、今の時代に向けて料理しているのか、確かめてみるのも一興だ。
また、「エクリチュールと差異」「私的言語」の意味がわかる者も、御小説を愉しめるであろう。
文句があるのなら、一読後に言えばいい。