吉田拓郎の「男の子女の娘」でデュエット相手を務めているのがこの中沢厚子である。
アングラ・フォーク系レーベルの再評価は、“
メジャーな叙情派フォークとは違ったちょっと変なフォーク”という文脈がメインだったため、CD化が後回しになったのはしかたがないが、だからといってなかったことにしてしまうのはもったいない。むしろヤマハのポプコンかというような美しい声とまっすぐな歌唱を聴かせている。オリジナル・ライナーには森山良子からの影響について言及されているが、それは一聴すればすぐ判ることであって、あの素直な音楽性を素直に自分のものとしている。吉田拓郎や泉谷しげるのような強い“個”を期待した向きには物足りないかもしれないが、こういった歌謡フォークもエレック・レコードのひとつの側面ではあると言える。
14曲中5曲が自作。他者の提供曲も含めて、非常に誠実な内容が多く、真面目な歌い方と相俟ってポップ・ソング的な飛躍には欠けるかもしれない。しかしこれはこれで中庸の良さであり、繰り返し聴くうちに心に染みてくる素朴な良さであると思う。こういう“あざとくなさ”は、例えばユーミンの御洒落な感じや中島
みゆきの身も蓋もなさがトゥーマッチだと感じる層にアピールするのではないか。
「歩いて行きたいところは」はさわやかな歌謡ロック。
「あじさいの歌」はもしや佐藤公彦の「通りゃんせ」第二弾を狙ったのか。
「鐘が鳴る前に」は歌謡曲テイストが映える失恋の歌。自身による(?)コーラスが印象的。
「セピア色の
バラード」は、かぐや姫の「加茂の流れに」の東京版、と言っては言い過ぎか。
そういえば同時期のエレックの女性シンガー丸山圭子とは全体的に共通するムードが感じられるが、「道草」は彼女の作品。
と、そんな中で、珍しく歪な感じの歌詞を、まっすぐなヴォーカルのまま歌い上げた「あやつり人形」は危うげな妙な輝きを放っていると思う。
更に、「あじさいの花の下で」は前述の佐藤公彦の作曲。彼のヴァージョンは『落書き』('75年)に収録されており、“21才の時ってぼくにとって暗い年でした(中略)でもこの唄はそんな泥沼の中に咲いた一輪の花です”とコメントしている名曲である。
ウィスパーボイスがこそばゆ〜い
ベースラインと太鼓がマッチしていて乗れる曲ですね。
カッ
プリングの空き地と野良
猫も破壊力が高く、良い意味で脱力できます。