「悉皆」(しっかい)とは不思議な響きのことばだが、
要するに「全部、一切」のこと。
反物・着物の染め、染め替え、洗い張りなど
仕立て・
仕上げの始末「全部、一切」を請け負った「悉皆屋」は、
和服全盛の太平洋戦争前までは無くてはならぬ仕事だった。
本書は、その悉皆屋を主人公にした、渋いが味わいの濃い傑作。
書かれたのは戦争中だけれども、全然古臭い小説ではありません。
東京本所生まれの作者は、江戸の風致を熟知しながらも、
いたずらに回顧趣味に耽らず、時代と人物が見事に描かれていて好ましいです。
御本人も
京都の和服の店に育った、松岡正剛はこう評しています。
《さんざん苦労をしながらも悉皆屋としての、男としての本望を遂げていく。
のちに佐々木基一はこの作品は『細雪』に匹敵するといい、
平野謙は「日本文学者全体が誇りとすべき作品」と褒めた。
旧「文学界」の同人仲間だったとはいえ、
亀井勝一郎は「自分はあえて昭和文学史上の代表作といって憚らない」
とまで絶賛したものだ。
正直いって、そんなに褒めたくなるような作品ではないのだが、
たしかに読んでいてまことに気分がすっとしてくる。》
自分は、働くことの意味は、今も昔も変わらないと思いました。
丁稚奉公など下積みの苦労、認めてくれる人、騙す人など、
登場人物も多彩で、陰影も鮮やか。……かといって、
関西風のいわゆるエゲツナイ商売成功譚ではないので、御安心を。
また、かつて文庫化した文藝春秋は、解説に泡坂妻夫(実家は神田の絵師)をあて、
今回は、出久根達郎(茨城県出身、中学卒の集団就職を経験)。
いずれにしてもこういう佳品を文庫化するにあたって、
担当した編集者の趣味と意気込みが伝わります。