現在、win7を使っていて、win8に乗り換えるか検討中の折、
デリーターさんに、
8でもコミックワークスMAXが使えるかどうか電話でお聞きしました。
(サポートの担当者の方には、すぐに繋がりました。)
「7までは、動作確認が取れているが、
8では、対応しているものとしていないものがある。
ダウンロードさえできれば使える。
8で使えなくても責任はとれない。
『コミックワークスNEO』だったら、8でも動作確認がとれている。」
という回答をいただきました。
パソコンを新しくする予定の方はご参考にしてください。
ソフト事態は、アナログ感のあるソフトです。
効率でいったら、
漫画の
仕上げで扱ったことがある、
クリスタ、コミスタ、photoshopには、かなり劣ります。
機能が少ないです。
アナログよりは早いと思います。
何よりトーン代がかからないのがいいですね。
背景に関してはデジタルで書いたことがないのでわかりかねます。
しかし、出来上がる原稿はデジタル特融の冷たい画面ではなく、
アナログに近い暖かい画面になります。
これからも使っていきたいソフトです。
win8で使えなかったら、NEOを買うつもりです。
待望のブルーレイ化。即購入決定!!!
小子は本作を1977年8月24日
横浜ピカデリーで、同年8月26日に川崎グランドで、と短期間に2回も続けてロードショー劇場で見ている(時に16歳)。短期間に2回も立て続けに違う劇場で見た理由は、本作ロードショー上映の際にのみ設置された「隠しセンサラウンド」効果の違いを体験したかったからだ。結果、両劇場とも効果は全く同じだった。
劇場に設置された巨大スピーカーから発電所などから収録した超重低音をブーストさせて劇場があたかも振動しているような効果を出す、というとてつもなく荒っぽい音響効果装置である「センサラウンド」はユニバーサル映画が開発、本作3年前の『大地震』から世の中に登場、短期間で消え失せた(最後の作品が『宇宙
空母ギャラクティカ』だったと思う)。
本作ではどういう経緯でか、このユニバーサル開発の「センサラウンド」がロードショーに際して密かに採用されていた。密かに、というのは、それまで特殊音響装置「センサラウンド」付上映というのは最大限に映画の宣伝文句に使われていたのだが、本作上映では徹底的にそれが伏せられていたからである。伏せられた理由は、単にユニバーサルの商標だから本作の製作・配給のワーナーでは使用できなかったから、という理由からなのかも知れない。ただしこうい装置が密かに使われると、上映中に心臓発作なんかを起こす方も現れる可能性もあるので、上映前には「本作の終わり近くはたいへんな恐怖が待ち受けています。ご鑑賞者の方々はくれぐれもご注意下さい」とか何とかいう意味不明のテロップが流されていた。
で上映が始まると、えぐい怪奇場面なんかを期待していたとおぼしき勘違いなおっさん連中は皆、場内でいびきをかいて眠り始めていた。
本作はまず、そういう類の哲学・宗教論争映画であることを、勘違いされている方々は肝に銘じてご鑑賞下さるよう。製作・監督を兼ねる鬼才ジョン・ブアマンは前作『未来惑星ザルドス』で展開したクロスワードパズル的構成の映画手法を、今度は現代に置き換えてやってみた、というのが本作だ。従って本作は正しくはフリードキンの『エクソシスト』の続編ではなく、ブアマンの『未来惑星ザルドス』の姉妹編なのである。そういうことが
メジャーの映画会社から簡単にできていた、というのがこの時代の
ハリウッドの凄さでもあるのだ。
本作が難解、という評も公開当時のレビューには多数見受けらた。それは正にフリードキンの続編ととらえているからであり、ブアマンの姉妹編と見れば難解なところはほとんどない(16歳のガキでも理解できたんだからね)。
本作などは、判りづらいところは登場人物たちがいちいち説明してくれるという親切ぶりだ。中でも重要なのは、アフリカ系アメリカ人役者の重鎮ジェームズ・アール・ジョーンズ扮するコクモという役(呪術師と昆虫学者の2役を演じている)。
昆虫学者は曰く。「
イナゴはある時期が来ると羽根が生え、羽根と羽根がこすり合って、悪い
イナゴとなる。悪い
イナゴは大群となって農作物を襲い自ら自滅していく。希望は羽根の摩擦に耐えられる良い
イナゴがいること。これが希望の光だ」
絶え間ない民族紛争を繰り返す人類史を俯瞰した一つの見解がここでは述べられているわけだ。
もちろん、ヘイトスピーチなんかをがなり立ててデモやってるクズ連中なんかは悪い
イナゴってことだ。
まあそういうのに徹底的に抗していくことを決意している小子なんかは極めて良い
イナゴの方なわけだな。
何で商品画面の方に掲載されへんの?
購入マークも付いてないわよ(まだ予約だが)。
あと、このブルーレイは恐らく、日本では劇場未公開の完全版バージョンの方。ラストはリンダ・ブレアがヒモをぐるぐる回しているところでストップ・モーションで終わる、というバージョンではなく、その後に何と!生き残っていたリチャード・バートンが出てきて、二人でその場を去っていく、というバージョンだ。この終わり方はつまり、二人で共に天国に召された、と解釈するのが普通。だからルイーズ・フィレッチャーは最後に泣いているわけだ。皆さん、おわかりになりましたか?