マッカーサーは憎き敵国の大将(連合国最高司令官)なのに日本人が持つイメージは決して悪くはない。占領軍は問題もいろいろおこしただろうけれど、歴史に残るような事件は知らないし、むしろ敗戦後の日本人の欧米化への変わり身の早さとめざましい復興のスピードが日本人だけでなく世界が記憶しているイメージだろう。
本書を読むとマッカーサーの偉大さに感銘をおぼえる人が多いと思う。実際、もしも連合国司令官が
ロシア人だったら今頃日本という国は消えていたのではないかと思う。少なくとも北海道に日本の地名が付き、日本人が日本の食事を日常的にしているのはマッカーサーが
ロシアの圧力に屈せず日本人による日本の復興を第一に考えていたからだと言える。
もしも敗戦後の日本がこのような形で実現できていたと知っていたなら沖縄戦や硫黄島の前あたりで降伏していたのではないだろうか?
真珠湾攻撃のとき、マッカーサーは
フィリピンにいて、その後の日本軍の猛攻にアメリカ軍は降伏、マッカーサーは
オーストラリアへ逃亡するが、ここからマッカーサーの偉大な戦いがはじまる。
驚いたことにマッカーサーが到着したとき
オーストラリアは恐るべき日本軍に腰をぬかして、首都を囲む大陸の一辺を残し日本軍に大陸の多くを明け渡してしまうしかないと考えていたという。それに対してマッカーサーはニューギニアにそびえたつ山脈の地の利を生かしてポートモレスビーを基地にしてここで日本軍を食い止めるという作戦を立てた。
つまりもしもマッカーサーの戦略がなければ、
オーストラリアも大東亜共栄圏の傘下に入っていたことになる。これは発見だった。
ニューギニアの戦いは過酷をきわめた。「飢え死にした英霊たち」を読むとマッカーサーの作戦にたいしていかに大本営の作戦がいい加減で人命軽視で地理研究もなければ補給も無視の断片的な小競り合いを小出しにしているだけの日本軍は負けるべくして負けたといわれてもしかたがないだろう。
ミッドウェーにはマッカーサーは関わっていなかったが、
ミッドウェーに日本が勝っていたとしても、日本軍はポートモレスビーを落とせただろうか確信はもてないだろう。
マッカーサーがすごいと思ったのは、作戦力だけでなくリーダーとして強い志と哲学を持ち、その潔白で筋の通ったビジョンと進むべき道をしっかりと示したところだと思う。この辺が山本五十六の、やとわれ提督のような印象とは大きく違うところだろう。
彼の力で
オーストラリアや
フィリピンの強い協力を得てその連携プレーが日本軍を撃退した大きな力となってしまった。
本書はマッカーサーの軍人に対する哲学を知ることができるが、ちょっとアメリカ星条旗を美化し過ぎているのでは、と思った。まるで
フィリピンは最初からアメリカの友人であったかのように書いてあるが、アメリカ軍が占領したときは動物のように虐殺し、殺人の効率を高めるために連発銃を発明したのも
フィリピン戦争のときだ。
さらにバターンの死の行進を徹底的に非難し、山下、本間将軍は戦犯としての処刑を正当化しているが、アメリカがインディアンにやった「涙の道」のことを知って言っているのかと思った。
あと印象に残ったのが、日本軍は最後の聖戦としてZ旗をかかげて挑んだマリアナ沖海戦のことがほとんど書かれていないことだ。マリアナ沖の七面鳥撃ちといわれたくらいでマッカーサーから見れば大した印象もなかったのだろうか?それに対して栗田中将のレイテ沖海戦のことは相当危なかったらしく、原因をアメリカ本国が全軍をマッカーサーの傘下に預けなかったとして
フィリピン逃亡後、唯一の危機といっていいほどの重点の置きようだ。日本では、なぜ栗田は反転したのか?といまでも言われるが、それまでの戦いの流れから行ってもアメリカ軍が作戦ミスで大穴を空けていたとは栗太中将も知る由がなかったのが原因で深追いして全滅を防いだと推測される。
ここで、我らが
戦艦大和でもっと砲撃してマッカーサーを殺していたら太平洋戦争の行方は大きくかわっていただろう。