皆さんは竹内洋岳という登山家をご存じですか.私は彼の著「登山の哲学」(*)を読むまで知りませんでした.洋岳はヒロタカと読みます.太平洋のように広く,山岳のように高いという意味合いで,ヒロタカさんの祖父が名付けました.竹内さんは8000m超の高峰14座が連立するヒマラヤを酸素ボンベの助けなしで狙うという高所登山のプロフェッショナルです.超高所が目標ですから,同じ極地でも地球の南北両極には興味はないと自著に書いています.
北極には
ホッキョクグマが,
南極には皇帝ペンギンがいますね.凄い寒さだけれど,酸素はたっぷりあるから動物たちは十分適応して皆ゴキゲンなのです.
このDVDは,彼が登り残している世界第7位の高峰ダウラギリ,標高8167mの登頂とその関連映像です.NHK の2人が最終
キャンプ(C3)まで取材しました.登頂を果たした今,竹内さんは日本人初の14サミッターです,しかし,世界をみればその数20人を超しています.彼にしてみれば何を今更のサミッターですが.14サミッターを志して登山途中に落命した山田登さんたち日本の登山家がいます.竹内さんは彼ら日本人登山家たちの遺志を継ぎたかったのだと語りました.登山家はこのDVDで分かるように仲間意識が強いのです.竹内さん自身.ガッシャブルム登山中に雪崩に巻き込まれ,それを見ていた外国人登山家たちに掘り起こされ,一命を得ました.幸運にも脊髄損傷にもならずに済んだ.半身不随は不治です.車椅子では14サミッターなど,夢の話.本当にラッキーでした.この事故の1年後に脊柱を
ボルトで固定しながらガッシャブルムに再挑戦し,望みを叶えました.頂上で声を上げて泣いたその声は,助けてくれた仲間たちに捧げる感謝の声だったのです.
さて超高所登山です.積雪の急斜面にさしかかると,左右の手にした短いピッケルを斜面に差し込み,それを支えに片脚を斜面から抜きあげ,上に運んでスパイクシューズを打ち込む.次いで残る片足を抜きあげ,上に運んでスパイクシューズを打ち込む.このように一歩一歩,抜き足,差し足を繰り返して少しずつ,確実に,ゆっくりしたペースで高度を上げていく.苦行そのものです.何故,こんなにまでして人は高所に臨むのか.私ごとき軟弱人間は想像もできない難行です.しかし,竹内さんら高所登山のスペッシャリストは別人です.そこにいて,そうやっていること自体が目的のようです.苦行そのものが楽しみなのだということがこのDVDで分かりました.故山田登は登山中に後ろを指さして,ダウラギリがあるよ,二度登ったよ.前にはマナスル,みんな登ったよ,と喜色満面に語っています.この喜びは何度も高所登山を続けることによって「痛切に分かる」のだと,竹内さんは云いました.吾らには分からない,彼と彼の仲間たちだけが分かる「痛切な喜び」なのです.高所登山は繰り返すごとに喜びが増す.また行きたくなる.そうだとすれば,麻薬のようなものかも知れません.一度登れば,また登りたくなるのです.
酸素ボンベの有無で登山がどう違うか,鮮明に分かるシーンがあります.パートナーをC1に残した竹内さんはC3を独りで出発し,雪の斜面をゆっくり頂上に向かいます.その姿を
キャンプから望遠レンズで捉えた映像があります.豆粒ほどの竹内さんに急速度で接近し,追い越し,そのまま登ってく登山家2人が映っています.この場面を「登山の哲学」で竹内さんは次のように書いています.映像では分からない竹内さん自身の心理描写です.引用を念頭にこのシーンを見ると,見方が違ってきますので紹介します.
少ない酸素の中で喘ぎながら歩いている私の横を女性クライマーが追い抜いていきます.ベース
キャンプで顔を合わせていた,クレオというアメリカ人とシェルパの2人.ズンズン登っていく彼女たちは酸素ボンベを使っている.でも,目障りだとは思いませんでした.ラッセルしながらのペースでは,頂上にたどり着けない可能性が高かった.追い越していったクレオたちは,結果的にラッセルを代わってくれたことになったのです.
登山は登頂が目的ではない.登頂して無事にベース
キャンプに戻ってくるのが目的です.それは空気ボンベを背負わずに深みに潜る素潜り似ています.深みに到達していても浮上する余力がなければ死亡する.高所登山も同じこと.竹内さんは,パートナーなしに独りでダウラギリ登頂しましたが,既に日没を迎え,下山口を見つけられず山頂近くで着の身,着のままビバークしました.翌日,未明のうちにヘッドライトを灯して下山し始めた彼はやがてルートを見つけC3に着きます.非常に疲れていましたが,休むより高度を下げた方が楽になるので,そのまま下山していきます.C3 で待っていたNHKの取材班に登頂したことだけを告げただけ--- .出迎えに登ってきたパートナーは下山してくる竹内さんを遙か下方から発見し.両者合いより再会を祝います.見ていて胸の熱くなるシーンです.竹内さんは相手の肩を叩き「また次だね」と云いました.超高所での苦行難行は脳内のモルヒネ様快感物質の分泌を高める.そうでなければ,また次だね,とは言えません.高所登山は麻薬です.その快感を知ればもう止められないのです.
長くなりました.もう終わりにしますが,高所でみる夜空に私は圧倒されました.竹内さんが山頂近くで日没を迎えるシーンです.満点の星.星雲は文字通りに星雲です.天の川は天の瀑布!その星たちが歩調を合わせてダウラギリの向こうに落下し,次々に姿を隠していく.地球は刻一刻も休まず自転しているのだ.大地は回る.映像を見ている私も回っている.私は宇宙のダイナミズムのその一瞬をしっかり見たのです.
このDVD は「登山の哲学」の読者に勧めます.「登山の哲学」とDVD は相補完するからです.山に無関心な大勢の人たちにも勧めます.自分と異次元の人間を知る,それは益なきことではないのだから.
*
標高8000メートルを生き抜く 登山の哲学 (NHK出版新書 407)
1924年にエベレストで消息を絶ったマロリー。そのマロリーの遺体が、75年後の1999年に
発見された。古代彫刻のような遺体は、いったい何を物語るのか?伝説の登山家マロリーの
足跡をたどりながら、彼の遺体捜索から発見までの記録を克明に綴った作品。ノンフィクション。
山というのは、何と厳しい表情を持つものなのだろう。「頂上を目指す者は常に死と隣り合わせだ。」
そう言っても、決して過言ではない。危険の連続だ。なぜ彼らはそれほどまでして山に登るのか?
私にはとても理解できない・・・。
この本を開いたとき、目に飛び込んできたのはマロリーの遺体の写真だった。それはかなりの衝撃
だった。衣服がはぎ取られむき出しになった白い肌は、本当に
大理石ようだった。また、凍りついた
遺体には、しっかりと筋肉組織もあった。いったい彼に何があったのか?世界で初めてエベレストの
頂上にたどりつけたのか?彼の登山家としての足跡をたどりながら、1999年に行なわれたマロリー
捜索の克明な描写が続く。その中でも、遺体発見の描写は圧巻だった。また、マロリーの遺品から
さまざまなことが検証された。残された酸素ボンベも入念に調べられた。だが、マロリーが頂上に
達したのかどうかはついに分からなかった。いつかこの謎が解き明かされるときが来るのだろうか?
それとも、謎は謎のままなのか?ロマンを感じる、興味深い作品だった。
《気がついたら普通だった。それが僕らの世代の思春期の漠然として重大な悩みである。おいしい食べ物や暖かい布団があり、平和で清潔だった。そして僕らはいてもいなくてもかまわなかった》(p.25)《環境が満ち足りているのに、何もできないというのは恐ろしい。それはダイレクトに無能を証明するからだ。少なくとも旧い世代が思うほど僕らの世代は楽じゃない、と僕は思う》(p.28)。なんてあたりはいいですね。率直で。若書きの良さが出ています。p.35のフリークライミングの思想を語るところなど「ちょっと美化しすぎだし、違うと思うぜ」といいたくなるような部分もあるのですが、それでも全部をひっくるめてイイです。
人によっては自傷行為にも感じるようなハットリ・ブンショウさんのサバイバル登山記は、ハッとするような美しい機能美あふれた行動の記録が満ちあふれています。たき火の算段の仕方など、実際にやってみたくなるような、その行為自体が生命感に満ちていますし、なんといっても現地調達を基本とする食料の核となる岩魚釣り!空腹に耐えて釣りあげ、自分で起したたき火であぶった岩魚の味!
《岩魚を一匹だけ焼いて食べた。泣き出したくなるほど旨かった》(p.56)なんてあたりは感動しました。