ナチ占領下のプラハで、「死刑執行人」と呼ばれるナチ高官が暗殺される。
ナチは報復として、犯人が名乗り出るまで市民を処刑するという暴挙に
出るが…。
時の宣伝相ゲッペルスに映画部門責任者への就任依頼を受け、アメリカ
へと亡命した経緯を持つラング(彼自身はユダヤ人)による、悪夢的ムー
ドで描かれる反ナチ・サスペンスの傑作。名手ジェームズ・ウォン・ハ
ウによる光と陰のコントラストの強い撮影が、プラハの町並みを出口の
ない迷路のような印象にしている。加えて、ラングの畳み掛けるような
サスペンス演出と生々しい暴力描写がより不安感を煽る。
映画史的には、アメリカに亡命中だった劇作家ブレヒトの原案・脚本で
あることも有名で、「Aに話せば、やがてB、Cに伝わり、最!後!にはG(ゲ
シュタポ)にたどり着く」というウォルター・ブレナンの名セリフは、彼
のアイデアによるものだそうだ。
キャスティングも相当異色で、小悪党的な役が多かったブライアン・ド
ンレヴィを主役に、気のいい人物役のジーン・ロックハートを悪役に据
えたあたりは、ラングの意欲のあらわれといえる。
本DVDは、かつて劇場公開され、その後ヴィデオ・LDで発売された120分
版より約20分も長い完全版。それ自体で、大変意味のあるDVDなのだが、
残念ながら画質があまりよくない。99年、東京の三百人劇場で行われた
「フリッツ・ラング映画祭」での上映
プリントをそのまま使っているせい
だろう。
名匠フリッツ・ラング監督による反ナチ・レジスタンス映画の屈指の傑作(43年作)。
ナチの高官がプラハで暗殺された実話をもとに(1943年の戦時中、アメリカに亡命した)ラング監督が映画化した作品である。
反ナチスのプロパガンダ映画としてだけでなく、娯楽映画としても完成度が高い1本である。
事実は英国から潜入した工作員(亡命チェコ軍人を含む)の仕業だったというが、本作ではチェコの地下抵抗組織の一員であるスボボダ医師を犯人(英雄)とし、ナチスの暴虐に決して屈服する事なく、祖国の自由のために戦い続ける誇り高き民衆の姿を歌い上げている。
本作品の主役は「ボー・ジェスト」(39)のマーコフ軍曹役でアカデミー助演男優賞にノミネートされたブライアン・ドンレヴィである。
1940年代のフィルム・ノワールには欠くことのできない名脇役と称されている俳優の一人だ。
ハマー・フィルムの名を高めた傑作SF/ホラー映画「原子人間」(55)のバーナード・クオーターマス教授役でも知られている。
相手役はマイケル・パウエル監督作「閣下」(32)の端役でデビューしたイギリスの女優アンナ・リー である。
本作では、物語の核となる非常に重要な役柄を見事に演じている。
後に怪奇色のスリラー(ホラー)映画「恐怖の精神病院」(46)でヒロイン・ネルに扮し、ボリス・カーロフと共演している。
そして、好人物から悪役まで非常に幅広い演技を見せるウォルター・ブレナンを始め、ハンス・ハインリッヒ・フォン・トワルドフスキー、ジーン・ロックハート、デニス・オキーフ、アレクサンダー・グラナック、ジョナサン・ホールなど個性的な俳優陣が脇を固めている。
チェコのプラハを舞台にナチスの脅威と追われるレジスタンス組織の闘いを描いた作品。
死刑執行人の呼名でプラハ市民に恐れられていたハイドリヒ副総督が銃撃される。
チェコ・スロバキアにおける最高権力者を暗殺されたナチス・
ドイツ(ゲシュタポ)は、国の威信を賭けて犯人の捜索に乗り出す。
不審な動きをする男(ドンレヴィ)、偶々それを目撃したマーシャ(リー)とその家族(ノボトニー家)が事件に巻き込まれていく。
<身元が分かるのを恐れて
建築家バニャックという偽名でノボトニー家に1泊した男の正体は、
外科医スボボタであった。>
前半は暗殺者を巡るゲシュタポの苛烈を極める捜索活動と、暗殺者を匿った一家を中心としたプラハ市民たちの動揺と団結を息詰まる緊張感で描いている。暗殺犯を見たというマーシャと、この事を誰にも言うなと戒める父親ノボトニー(ブレナン)の意味深な場面が目を引く。
逃走中の暗殺犯の事態を察知し、愛国心から嘘をついてゲシュタポに違う方向を教えたマーシャだったが、父親が連行されるや、自分の判断や行動に迷いが生じたり、躊躇する姿が見られる。ノボトニーは死刑執行人に死刑を執行した男(スボボタ)は民族の英雄であり、敵の手に引き渡すなと言わんばかりに最後まで自分の意思を貫き通す。それは終始一貫した鉄の意志を持つ恐れを知らぬ偉人の姿であった。
後半は一転し、レジスタンスたちが、ゲシュタポのスパイをハイドリヒ暗殺者に仕立て上げる策動が、畳み掛ける演出で展開されていく。
チェコの民族の中にも、祖国を裏切ってナチス・
ドイツに協力しているビール醸造業者チャカという裏切り者が存在していたのだ。
ゲシュタポのスパイとなる富豪チャカ(ロックハート)は、私欲の為に人を陥れる事を躊躇わない卑劣な男である。が、実は猜疑心が強く、いつ自分が危険な立場に立たされるかと怯えながら暮らしている。丸でノボトニー教授と対照的なキャラクターで面白い。
ナチス側を演じる俳優たちも強烈な存在感を放っている。冒頭に出てくるハインドリヒ副総督(トワルドフスキー)の、権威と権力を振り回す威圧感が強烈である。敬礼で迎える高官の前で態と指揮杖を落とし、反応を楽しむという冷酷さや厭らしさを見事に表現している。
ゲシュタポのグリューバー警部(グラナック)は、慇懃ながらも虫唾が走る執拗な性格で、憎々しい程に頭の切れる男である。
レジスタンスの頭脳的な存在デディッチ(ホール)、マーシャの婚約者ヤン・ホレック(オキーフ)など、後半に活躍する展開が待っている。特にそれまで大して物語に絡まなかったヤンがグリューバーと接触する事によって事件の真相を知るシークエンスは痛快であった。
倒叙形式で暗殺犯の逃走とゲシュタポの追跡、ナチスによる人質作戦、レジスタンス側の反撃という緊迫した物語を作り上げた脚本が秀逸である。<フリッツ・ラングとベルトルト・ブレヒトとジョン・ウェクスリーの3人が担当している。>
登場人物の立場が分りやすい単純善悪二元論的思考や図式化された世界で描かれているものの、決して屈服しない道を選ぶチョコの人々の姿には感動せずにいられない。
ただ、ゲシュタポに対峙する民衆の連携の感動とは別に、「M」(31)で殺人犯を追い詰める事と同様な視点(本作では祖国の裏切り者チャカを陥れる終盤の展開)から浮き彫りにしていく集団の圧力の怖さというものも感じる映画でもある。