マザーグースの 韻を踏んでるところのライムを忠実に訳した物へ
曲を付けて歌ってもらったもの。
米良美一 と言う人が参加している。
発売当時(に買った)はカウンターテナーなんて珍しいから クラシックに興味もないし
まさかウン年後にアニソンお兄さんになる(
もののけ姫 [DVD]の主題歌歌ってるのよ)とはとても思えないし、
マザーグースの関係で聴く以上に
「カウンターテナーを聴くいい機会」
とだけ思っておったがいやはや何とも。
●すでに2100番を越えている中公新書の275番(初版は1972年)が今でも再販されている理由は、その新書としての質の高さにある。
●新書とは本来、本書のように学識ある専門家がビギナーに向けて丁寧にその知的喜びを伝えるものであった。タレント化した自称研究者と本屋が手を組んで売らんかな根性だけで中身のない又聞きを集めて書き散らした昨今のものとは似ても似つかぬものであったことを思い出そう。
●ではなぜ、著者は新書でマザーグースを紹介したのか。著者はこういう――ジョイスやクリスティの作品にはマザーグースが下敷きになった言い回しが多い。しかし、こうしたフレーズは
英語辞典を見ても出ていないし、そもそも知らなければ気付きようがない。それでは「
英語や英文学の理解は、いつまでたってもどこか上すべりにならざるをえないように思われる」(P110)。なるほど!だから「マザーグース」なのか!
●英米人の頭に子供の頃からしみ込んでいるマザーグースを日本の我々が今さらいくら勉強しても、それを感覚的に完全に理解することは不可能であろう。しかし、われわれのやっている
英語や英文学の理解にそういう「上すべり」がないだろうかという疑問を常に意識すること、それが本書の著者が読者にまず伝えたかったことなのだ。
●こうした良書を再版しながらも(他の新書と比べて)明らかに高いクオリティーを保ち続けている中公新書には頭が下がる。